東武鉄道熊谷線  キハ2000形(保存車)
 
  このクリーム色は8000系や「金八先生」でもおなじみですが、ディーゼルカーにも塗装されていたのはあまり知られていない事実です。
埼玉県の熊谷から妻沼にかけて運転されていた東武熊谷線。その熊谷線で昭和29年から廃線までの約30年間走っていたのがこのキハ2000形です。由来は定かでは無いのですが地元では「特急カメ号」として親しまれており、廃線直後から妻沼町にて保存されています。外観はきれいなのですが、さて、中身は…?

ということで、このページは静態保存車の紹介になります。

(取材・撮影 埼玉県妻沼町)

 

 

 


車内全景の前に・・・ちょいとフライング東上(^^;; ドアにはこうしてステップが設けられています。いかにもディーゼルカーといった設備ですが、私みたいなおっちょこちょいな人はついついひっかかってしまうもの。注意が必要です。ということで、よいよいっとステップを上がると…


こちらが車内全景になります。2ドアセミクロスシートの車内は国鉄キハ20系と同じものです。
ドア〜ドア間は中央にボックスシートが左右それぞれ5組ずつ、そして前後にロングシートという格好です。
思ったよりも車内が広く見渡せるのは天井の高さとクロスシートの背もたれの低さにあります。
あ、ちなみに心霊写真ではありません(^^;; 編集していておもわずガクプルしてしまいましたが…某(K)氏かと思われます。


乗務員スペースに近づいてみました。左の仕切りになっている部分が乗務員さんのスペース。右側はなんと!!客室になっています。いやぁこれなら前面展望もさぞかし楽しかったことでしょう。ここだけ側面の化粧板が緑のものになっています。
画像右は仕切りに貼られていた案内図になります。ちょっと色褪せてしまっているのが残念です。
東部妻沼線もしっかり掲載されていますし、今では乗り入れなくなってから久しい秩父鉄道も路線だけ描かれています。一方会津方面へのルートは新藤原までしか読み取れませんでした。地名としての会津田島は書いてあったんですけどね…時代を感じます。


そして運転席です。座る事もできますが、自分のような太膝の野郎には明らかに窮屈です。まさか本職の方々は皆やせていたのでしょうか?それとも横向いて運転していたのでしょうか(^^;; 私がデブなだけですかそうですか(^^;;;;
運転手用の椅子も、後ほどご紹介する座席同様らくだ色のシートを使用しています。


先ほどステップが登場していましたが、今度はドア全体をご覧頂きます。
片開き戸で、客室部分の化粧板に合わせてベージュに塗られています。その厚い塗装もそうですが、ドア自体は思ったよりもキレイですし、まだ実際に走っていそうな感覚にもなったりするのですが、周りの環境が時代を感じさせます。
そして鴨居部には路線図や広告ではない、真剣なお願いが・・・。画像右の表示はいささか物々しさを感じますね。


続いて天井に参ります。あ、この写真にも人影が…って納涼!恐怖の心霊写真SPの面持ちになってきましたが・・・
冷房もなければ照明も・・・なんていうのは大袈裟ですが、とにかく照明が少ないのがこの車輌の特徴の一つです。
画像中央にポツンと写る蛍光灯。これが数メートルに一箇所、といった具合でポツン、ポツンと取り付けられているのです。
昨今の路線バスよりも暗い車内は、結構良いムードだったんじゃないんですか・・・(^^;

吊革の支持方法もどことなく繊細で、しかしながら独特のスタイルになっています。


窓はこのようにバス窓になっています。この窓に「懐かしさ」を感じられる方は結構多いのではないでしょうか・・・。
下の窓を上に上げる事によって開閉ができるしくみです。上段は固定になります。
右が外から見た側面になります。あ、ここにも…ってしつこいですね(^^;;
ちなみに資料性をより高めるためでしょうか、ところどころ窓枠には東武熊谷線が現役だった頃の写真が貼られています。この車輌、あまり鉄道雑誌にもクローズアップされない存在なので、このような資料は嬉しい限りであります。


こちらは荷棚です。この当時の荷棚というと網であってある通称「C寝台」が専ら有名ですが、この車輌は長板を3本、端から端まで通す形で荷棚としています。今のプラスチックやFRPを用いた荷棚に通ずるところがありそうで、ちょっぴり独特ですね。こちらもベージュ色にコーティング。


さて、ここからは怒涛の座席パラダイス。まずはロングシートからご案内です。画像左がドア〜クロスシート間にあった5人掛け(推定)と、乗務員スペース脇にある2人掛け(推定)の座席になります。
お嬢さん、らくだ色のモケットですよ!!いやぁ〜東武熊谷線を知らない方でもらくだ色のモケットに青春を馳せていた方は結構いるのではないでしょうか。今では数少ない「らくだ色ロングシート」が拝める地ですが、残念ながら座面の詰め物が劣化していました。硬くなりつつある状況です。この硬さが、また彼の歴史を刻一刻と刻んでいるのでしょうね・・・。
ドア〜クロスシートの座席にはヒーターがついていますが、乗務員スペースの方にはそれが無いようです。


ちょいと余計なウレタン君が登場していますが、この場所、実は一方がシルバーシートであったようで、車内にはこうして灰色のモケットを配したロングシートや、シルバーシートである旨の表記が残っています。画像右、カーテンの奥から微かにご覧いただけるかと思います。
結構床から座面までの高さがあるので、座るのにはちょっぴり苦労したかもしれません。しかしながら座ってしまえばもうそこは・・・私もビール片手に悠々座って移動したかったです。思えばボンネットバスもこのような配置になっていることが多いですね。

袖仕切りが結構独特ですね。構造上、横にバーを渡すだけでこの部分の立入を制限できたようです。


最後にクロスシートの模様を。いやぁこれまた狭い狭い(^^;;シートピッチや肘掛けがない事からお解りかと思いますが、大人二人が堂々座ると左右方向も、前後方向もきつきつ。膝小僧のぶつかりあいというハラハラドキドキ熾烈な争いが繰り広げられていた事でしょう。思えば国鉄キハ10系もシートピッチが狭かったと聞きます。この当時作られたディーゼル車はこのシートピッチが当たり前だったのかもしれません。
背もたれも小ぶりで、ロングシートのものとあまり差がありません。半月状の取っ手がまた時代を感じさせます。

それにしても・・・背もたれと座面の大きさが全然合っていないのはなぜ?


端の席はらくだ色のモケットを貼っていて、ロングシートに座っている方への配慮がみえます。
ちなみに座席周りにテーブルや灰皿はありませんでした。しかしながらかつての東武熊谷線を知らない人でも、どことなくノスタルジーな雰囲気に浸れるのはこの車輌の魅力と言っても過言ではないでしょう。。
所々疲労の色が現れていますが、それでも比較的良い状態で保たれ、街の方に愛され続けているキハ2000形。資料館には立派な屋根もつき、これからも「鉄道があったんだ」という事実を皆に伝えようとしています・・・。


・・・・・・忘れていました、最後に床をどうぞ。
木目調のようにもうけとれますが、どうやらそうではないようで、濃い、青みがかったグレー一色にまとめられています。

[おまけ]
この車輌が展示されているのは埼玉県妻沼町にあります「妻沼町立展示館」です。催し物などを行うホールがメインで、かつては東武熊谷線展もやったとか。休館日や催し物など、詳しくは妻沼町のホームページからどうぞ。

ちなみにバスや廃線探索がお好きな方はJR熊谷駅から路線バスが出ていますのでそちらでどうぞ。
朝日バスの妻沼行き(バイパス経由・旧道経由どちらからでもOK)に揺られて「ニュータウン入口」下車、徒歩3分です。
また、同じ朝日バスの熊谷駅〜太田駅・西小泉駅行きのバスでも行く事が出来ます。そこからは若干歩きますが、「妻沼中町」か「妻沼下町」下車になります。本数が少ないのですが、熊谷から妻沼町を散策して、太田駅や西小泉駅に抜けるルートは結構面白いのではないでしょうか。途中利根川も渡りますし、妻沼から西小泉へは東武が鉄道敷設を断念した「路線」でもありますし・・・。
埼玉県バス協会や群馬県バス協会のサイトで、発車時刻が検索できます。asahi.co.jpではありませんので念のため(^^;;

・・・自分は某鉄道クラブの皆さんを無理矢理巻き込んで取材を敢行しました。皆さんご協力ありがとうございました。
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