東武鉄道  1800系[館林地区・通勤化改造車・1812F]
 
  全部で3編成が通勤車向けに改造され、「りょうもう号」が行き交う館林を拠点にローカル輸送に活躍した1800系。
ところが不思議なことに3編成中1編成だけ、ちょっと他の編成とはちょこっと異なる内装を持った編成がいました。1812F、ちょうど2編成目にお披露目となった編成になります。注目ポイントは後ほどご紹介ですが、元々「りょうもう」時代からの「違い」のようです。あとは他の2編成と共通で(元々3編成しかないから分けるにも分けようが…(^^;)佐野線や小泉線の運用に就いていました。
なお、この文が過去形と言うことは…そうです、2001年から5年間走ってきた1800系通勤化改造車、2006年7月を以って営業運転から退いています。現在は寂しいかな館林で留置している姿を見ることができますが、それも果たしていつまでのことやら…お疲れ様です。
(取材・撮影 東武伊勢崎・小泉線/館林)

 

 

 

 
車内全景です。右の画像は先ほど登場した1811F、1813Fの「2編成」に該当する車内、左の画像は1812F「1編成」のみ該当する車内になります。どちらも変則ドア配置のクロスシート。両者共通の車内改造点として、座席の削減、モケット変更及び回転レバー撤去、吊革増設、ヒーターの設置、(配電盤を兼ねた壁が残っている部分もあるものの)デッキの仕切り扉・壁&トイレ廃止、などが挙げられます。そして1812Fに見られる特徴はまずは一目瞭然、床の色が異なる点が挙げられます。そしてもう一つは座席です。現段階でも2人掛けの中央部分の「分かれ目」がちょっと違うかな?というような感じになっています。


乗務員室との仕切りです。やはり床が違うと雰囲気も変わってきます。こちらの方がちょっと明るいかな?という感じがしますが、それでも3面揃ってクリーム色のパラダイス、ドアエンジンのカバーの一番手前どうしを結ぶクリーム色の桟も残っています。やはりこうして細かいところを車内に入って少しずつ拾っていくと、当時の急行時代が容易に想像できてしまい、そこがなんともせつない点であります。

 
一方逆サイドの車端部です。こちらでは2種類掲載します。左の画像は先ほどの仕切りの画像と同じく、天井に仕切り壁があった姿を思い起こさせるような桟があり、左奥のスペースには窓上の赤く細い桟が無いことから、便所のあった部分を客席化したものだと思われます。床の張り替えに留まらず、側窓や妻窓も新たに開けているのでしょうか?
そして右の画像は元々客席としてデッキが無いまま次の車両に繋いでいた部分の車端部で、こちらは妻窓が元からありません。もう座席さえあれば優等列車の姿そのものを思い起こさせる数少ない車端部で、この車両の車端部にはあまり無いスッキリとした印象を感じます。


一方立席スペースの奥に扉がある部分の車端部になります。配電盤を兼ねた壁が右半分に残っており、デッキをなくそうと思ってもなくせない事情が伺えます。この手の先駆者(^^;;;419系もやはり車端部の処理に苦労していたみたいですが、この車両もまた然りと思って良さそうです。…って前のページにも書きましたね、同じようなこと(^^;;;
デッキをなるべくなくそうと思った結果、消火器のポジションが客席から確認しやすくなった事は収穫かもしれません(^^;;


ヒーターもしっかり完備しています。3月と4月に取材に行ったのですが、画像のとおりこのヒーターの恩恵に授かることのない陽気の日に出かけてしまったことを若干悔いています。
この薄さなら今流行のハロゲンヒーターのようなものなのかもしれません。あれ、一度JR東海のホーム上の待合室で体験したことがありますが、意外に暖かいです。あ、ハゲロンではありません(^^;;;


天井です。ここは他の編成との差は無く、独特な冷風吹き出し口と天井から直接ぶら下がっている吊革、そしてカバーつきの蛍光灯が他編成同様ポイントになっていきます。天井から直接ぶら下がった吊革は取り付けが容易なことから今後他車両において吊革の増設を行う際にもっと登場しそうな気がしないでもないのですが、バンド部分が伸びる部分がお気に召さないのでしょうか、関東の私鉄やJRの車両ではなかなか見かけません。


この編成でも丸い冷風吹き出し口。室外機と同じ数だけあります。
ちょっと斜めになってしまいましたが、吹き出し口の周りが四角く囲まれた板がはめこまれており、それがちょっと見栄え的に鬱陶しいかなぁ…なんて思うのはスマートなラインデリアに慣れすぎたせいでしょうか?


床です。この編成のみの注目ポイントその1がこの床になります。
通路部分のみ灰色を中心とした柄物、その両脇を渋めのベージュががっちりサポート。通路部分の色分けは元デッキ部分にも行われており、貫通扉が無いため、他の車内も含めて一体的に見せる効果がありそうです。
で、この床…自分はまだ乗ったことが無いので必ずしも断言できないのですが、どうも「きりふき」「尾瀬夜行」で活躍している300系・350系の床と同一の物のように見えます。他2編成が床を全面的に改めていないことから、300系・350系が営業運転を開始した1991年頃に改造された物だと思います。


ドア周りです。こちらは縦構図でご紹介します。「単なる立席スペース」と化してしまった今でも客席とは離れたところに設けられた蛍光灯やスピーカーがあり、その辺りからもデッキであった名残を感じることができます。

・・・もうちょっとごちゃごちゃ言おうと思ったのですが、ちょっと哀しくなってきました・・・。

 
吊革のピクトグラムや先ほど車端部の画像ででてきた禁煙マークの図は30000系に揃えています。これらは通勤化改造の際に取り付けられた物になりますが、その一方で任務を解かれ、外されていった表示類もあります・・・。

 
この座席についても往年の「りょうもう」活躍時をご存知の方は表示類と共に「通勤化改造」という5文字をわかりやすく印象付けさせたものだったかもしれません。左の画像が1812Fの座席で、やや角ばった座席は「りょうもう」時代から使われていた座席になります。床と同じ時期に置き換えられたのでしょう。右の画像が1811・1813Fの座席で、袖仕切りから座面下の台座まで全てが異なる座席であることが伺えます。ただ一つ同じ部分はモケットで、通勤車仕様の緑色のモケットに改められています…。

他にも通勤車として使用するために、灰皿や座席回転装置の固定、背面テーブル、フットレストの撤去なども行われています。


座席、別角度から。座面も1人分ずつ分離したものになり、この座面の厚みが見た目惹かれます。バケット形状ではあるものの、座面はスプリングの効いた、心地の良い硬さを提供していますし、背もたれのホールディングもなかなか。優等列車だった頃の座り心地はまさに「そのまま」です。ただ、座面が若干外れやすそうな感じがするのと(^^;; 着座ポイントがちょっとつかみにくいかなぁという感想も抱きました。


背面はこのような具合。もう少し明るかったらガチャピンの背中でしたね(ぇ
テーブルの跡はありませんが、座席フレームの一番下にフットレストの跡が残っています。


固定化されてしまった灰皿、そしてその周りを緑のモケットが覆います、肘掛です。
灰皿を中に入れたので仕方が無いのかもしれませんが、この部分が角ばっているのが座席の印象そのものを角ばらせているような気がします。もう「ビジネス一本!」という意気込みを感じさせます。


さて、場所によってはこのような席もあります。固定されているので2人掛けは保証済みです。


優先席です。優先席はこのように銀色のモケットに改められています。各車両8席分用意されています。
優先席モケットが比較的地味な色を使っていた東武だからこそこうしてノホホンと見ることができますが、ここの区画が例のキハ58「土崎リクライニングスペシャル」のような度肝を抜かれるようなデザインだったとしたら…色んな意味で「神」な優先席、関東に舞い降りたり…なんて祭り事になっていたでしょう。そういう意味でこの色を使い続けた東武は(^^;グッジョブさんです。・・・実用面は一切考慮していませんが(^^;;;
改造内容はモケットを除いて他の座席と同じです。


優先席区画にはステッカー表示も怠っていません。遮光フィルムは…どうやら全面撤去のようです。


最後の最後まで走りぬいた彼ら、こんな姿を登場時に想像していた方はいたでしょうか。
でも、哀しいがなこれが自分にとって1800系から貰った一つの思い出。この衝撃的出会いは…きっと、忘れません。
でもまた会える日を楽しみに待っていようと思います。またいつか、やってくる…よね?
 
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