相模鉄道  5000系
 
  ぱっと見2100系や7000系と同じ車体ですが、形式区分上としては1編成のみが残っているようで、偶然乗れたら「ラッキー」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
生まれは1955年から60年にかけてで、当初は18m車だったもののその後車体を載せかえた際に20m車になります。で、車体載せかえの時にアルミボディになり7000系と同じような外観になります。さらにその後はVVVFインバータ制御に変更となり、当初の面影はあまり見られない構造になっていきました。なんだかJRの103系3000番台の相鉄版!といった勢いですが、なんだかこちらの方がシンプルなイメージがありますね。それこそ赤帯さえなければ無印のお店に置いてもいいくらい(^^;

(撮影・取材 相鉄本線/海老名)

 

 

 


車内全景からご覧ください。1955年から60年にかけて製造された車両とは思えないきれいさ、やはり車体を載せかえただけのことはあります。4ドアロングシートは相鉄の現役車両共通の構成です。
化粧板や床は外観同様あまり派手なものは使っておらず、茶色の座席が際立って見えています。また、見通しがいいのもこの車両の特徴です。関東の方、特に西部にお住まいの方は袖仕切りの形状にちょっと慣れないかもしれません。


車端部です。冷房は車体載せかえと同時期に行われたのですが、天井がフラットになっていないため車端部の天井は丸みを感じることができます。
また、貫通扉がないので両側の妻窓は固定されており、しっかりと黒のゴムでくっついています。開放感はお手の物であるとともに、2段窓や手動の開閉窓を作らない方針が伺えます。

 
優先席のモケットで車端部の様子です。2004年の時点では鶯色のモケットが残っていましたが、その後青色のモケットに統一された模様です。
さて、二つの車端部の差ですが、妻窓が大きく異なっています。右の画像の車端部は元々乗務員室だった区画を客席にしたもので、妻窓は乗務員室時代の物をそのまま流用しています。横浜方から3両目の2両目よりのみの車端部で、なかなか見た目では気がつきにくいポイントです。座席そのものは他の部分と変わらない物を用いており、そこ以外の改造の跡は特に目立ちません。


ちなみに2号車側から3号車を望むとこのような、目にクマができたような顔がどどんとお目見えします。

 
乗務員室の背後です。ちょっと左右のバランスがよろしくないですが、ご辛抱頂ければ幸いです。
右の画像は編成途中にある先頭車同士が連結された部分の様子で、10両固定編成になってからは特段分割されることはありません。右の画像では開きっぱなしですが、まず何よりも目を引くのが中央の扉。前面の扉よりもややワイドなものが使われており、窓の黒いゴムやその下の鉄板を見るとついついその中から魚を積んだトレーとか、野菜を積んだラックがでてきそうな気がしてなりません(^^;
前面窓は扉とは裏腹に小ぶりなもので、シルバーのサッシが絵画の額縁のように見えなくもないですが、その手前のバーが「取っ手」という役割よりも護送車的な役割に見えるのは自分だけでしょうか・・・。

ちょっと見難いですが、その右の窓の上には大きく「1号車」と書かれたステッカーが貼ってあります。固定編成だからなせる技で、何両目に自分がいて、何号車が男性禁制の車両なのかなど、居場所などがはっきりとわかるようになりました。

 
なんとなく東急車輛と、扇風機です。
この銘板はなかなかワールドワイドなロゴで、東急の「赤」というイメージが微塵も感じられないものですがこの車両の中では比較的年代を感じさせるものなのではないでしょうか。
そして右の扇風機。家庭用に見えるのが特徴で、カバーの中央にプラスチックの円状のものがはめ込まれていたり、左右扇を描きながら行ったり来たりする首振り式のものだったりします。ちょっとサイズも小さいですよね。なお、この車両の扇風機は全て乗客の判断でつけたり止めたりすることが可能で、この扇風機のスイッチは右の仕切り窓の隣にチョコンとあります。


仕切りの背後には鏡もあります。相鉄名物で、写った景色で駅名表を読み取るなんてこともできそうですね。
中間車には一部の戸袋部分にあります。


天井の様子です。先ほどとはちょこっと違う扇風機の様子も合わせてどうぞ。こちらはぐるーっと円を描くように一回転します。そしてその扇風機の奥には冷房用の吹き出し口も見えます。ラインデリアがないので、同じ場所から出る冷風を扇風機がかき回すといった格好になっています。そして、車端部の部分でも触れましたがフラットな天井にはなっておらず、蛍光灯の両側には弧を描いた天井を見ることができます。


天井です。明るめの茶系の色をセレクトしたのですが、派手さを抑えた色になっており、モケットとのバランスをしっかり保っています。相鉄はフットラインなどを引く車両があまりおらず、この色が10000系登場までの相鉄標準という具合で使われています。

 
ドア周りです。千鳥配置で電光路線案内図が設けられており、設けられていない部分については左の画像のように広告枠が展開しています。どちらも違和感のない設置になっています。
戸袋は埋められており広告枠があるわけですが、ドアにくっつきすぎです(^^;その広告枠も袖仕切りと網棚の間を結ぶバーが無い分見やすくなっています。
ドア付近の吊革の位置は関東、特にJR東日本でよく見られる、ぶら下げているバーの高さを変えて調節するスタイルではなく、吊革のバンドの長さを変えて調節しているスタイルをとっています。京急や京成でも見られますし関西私鉄ではポピュラーなスタイルですが、2100系で始めてみたときには新鮮そのものでした。


さて、鴨居部にはこのように「光る」路線案内が設けられています。赤く点灯している部分を見ると現在地、次駅、種別、行き先がわかるようになっているはずです。凡例がないのでわかりにくい・・・あ、地理学のやりすぎですね(^^;;; 赤だけでなく3色ぐらいに色分けをして始発駅では停車駅を全部表示したり、接続駅などを表示してもいいかもしれませんね。
千鳥配置になっていて1両あたり4台設置されています。残りの4箇所は広告スペースです。


座席です。まずは7人掛けのロングシートからご覧ください。
茶系の鮮やかな色を使ったモケットで、着席区分などが何も無い、至って純粋なシートです。戸袋部分、背もたれの上にちょっとした出っ張りがありますが、座る分にはほとんど支障はありません。
座り心地は非常にやわらかく、ふわふわした印象でした。モケットの触り心地が良い反面、ちょっと滑りやすいかな、という感覚もありましたが「いいなぁー、地元でも使ってくれないかなぁ」と思わせるには十分な座席でした。


車端部の3人掛けの座席です。このモケットでも優先席扱いになっている区画がありましたが、現在は全て優先席のモケットに貼り替えられています。車端部は両サイドとも肘掛的役割の設備があるので、居住性はいいと思います。


2004年に取材した際には銀色のモケットが残っていました。元シルバーシートの区画で、その後青のモケットに貼り替えられていきました。西武や東武よりも灰色分が高いモケットで、まさに「銀!」という感じがします。
ただ、茶色の鮮やかさと比べるとちょっと地味な側面を持っています。仕方がないといえば仕方がない・・・ですよね。


乗務員室から改造された区画で、優先席を見ていきます。現在優先席の区画は全てこの青いモケットで統一されています。これなら茶色と張り合えるくらい目立ちます。座席のつくりはどの部分も同じで、この改造区画でも車端部の機器スペースは健在。袖仕切りの小ささといい、全体的にコンパクトに程よくまとまっています。


最後に相鉄名物のアレを忘れてはいけません。自動窓です。
1段下降窓を自動車の如く自動で開け閉めしてしまおう!というのが狙いで、この車体の基になった7000系から使い始めました。ちょっと列車とすれ違うときのバタつきが激しいですが、まだまだへたることなく活躍しています。

ということで、ここからは自動窓のボタンを細かく見ていきます。

まずはボタンだけのものです。戸袋の広告枠と側窓の間に設置されています。
ちょっと塗装が剥げていますが、矢印で表したデザインはピカ一にわかりやすいのではないでしょうか。

 
次にボタンの上に扇風機のスイッチが設置されているタイプ。と、さらに非常通報機を設置したタイプをご覧頂きます。扇風機のスイッチはレバーの上げ下げで操作するもので、なんだか味気ないというか操作しづらい印象を持ってしまいました。
それにしても、結構ボタンを取り付けるという単純そうに見える作業ですが、その場所決めには色々な制約との格闘があるものなんですね。しみじみそんなことを感じてしまいました・・・。
 
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