島原鉄道  キハ20形
 
  島原鉄道といえば現在は軽快気動車が幅を利かせていますが、まだ島原港から先の線路があった頃はオールドタイマーもバリバリ活躍していました。キハ20形です。
昭和33年に自社発注車が登場したのを皮切りに、国鉄や水島臨海鉄道からも購入し、最後は元急行色、首都圏色、赤パンツ色等様々な塗装で主に諫早から島原外港の間を走っていました。
この取材は2007年夏、私が就職して1年目に九州を旅した時に遭遇したものです。当時は長距離移動したもの勝ちの精神であっちこっち行っていましたが、その過程、諫早で野宿(!)した後出会った車両がこちらでした。思わずタイムスリップしたのかと思った13年前の話を令和で思い出して感慨にふけるわけですが、いつ見ても本諫早の駅名票はでかい!と思います!
(取材・撮影 島原鉄道島原鉄道線・本諫早〜諫早)

 

 

 


昭和37年の雰囲気を2008年の春まで長崎で色濃く残していた車内全景です。2ドアでドア〜ドア間はセミクロスシートの配置、それにしてもクロスシートが実に多いことが伺えます。
薄緑色の内装に対して後付けの冷房以上に違和感があったのが横引のカーテンです。わざわざ荷棚と窓枠の間にカーテンレールを通していたわけですが、ロールカーテンに見慣れていた私には強烈に映った記憶があります。
トロッコ仕様車はモケットが縞模様でしたが、今回取材できた車両を含めて3両が今回取り上げる車両のような単色モケットだったことを確認しています。


あまりにも簡素な乗務員室との仕切りです。半室構造ですが、運転席と座席の間はほぼ全面「壁」で、前面展望は助手席側からどうぞ…ということでしょうか。それにしても昭和30年代のディーゼルカーは前面展望に寛容な座席配置だったのだなぁ…と、妙に感心するところです。偶然の産物かもしれませんが…。
ワンマン設備などはありません。
 
車両によっては今回取材した模様のとおり便所が残っていたこともありました。画像は諫早方の車端部で、もうここから見ると薄緑のオンパレードです。
便所は右側の画像ですが、ユニット自体が乗務員室になるスペースに若干はみ出していることがわかります。扉のすぐ左側、縦の桟が乗務員室を仕切るときの扉押さえになります。
ウィキペディアでは便所は締め切っていたとの表記がありますが、この画像ではトイレマークがついています。私はこの時トイレを利用しなかったのですが、果たして、●●先生はどのようにお考えで…(殴
運が悪くトイレに駆け込む体制に入れなかった点が悔やまれますが、ひたちなか海浜鉄道のキハ20やいすみ鉄道のキハ52は便所が撤去されているだけに、貴重な1枚が撮れて良かったと思っています。


天井です。後付けのエアコンがかなり目立っていますが、さほど丸みは帯びていない天井に必要最低限の照明、夜はそこそこの明るさだったことが伺えます。手前に写っている箱は冷房から伸びたダクトの一部です。そのダクトは両脇にも走っています。天井には他にもベンチレーターと結ぶ通風孔も設置されています。それにしても、なかなか賑やかな天井なこと。


扇風機です。面白いのはこの扇風機の羽根です。真っ黒なんです。これは島原鉄道オリジナルだったのでしょうか、はたまた国鉄譲りの色だったのでしょうか…?完全手動の扇風機で、スイッチは壁についています。よくこの手の扇風機だとカバーに「JNR」などと書いてある事が多いのですが、その表記もありません。


床です。ディーゼルカーならではの点検蓋も奥の方に見えます。アイボリー一色の床でした。ここは灰色かなぁと思っていたので、ちょっと意外でした。隅の方とか見るとくたびれていたものの、車内の設備を見る限り張り替えを必要とするような改造は見当たらなかったので、譲渡時に「ここは…」と整備したのかもしれません。


ドアです。懐かしい塗りドアです。ステップを介しての乗り降りですが、ステップ用の明り取り窓も健在でした。始発の本諫早駅では改札に一番近いドアだけ開けて、あとは締め切り扱いにするなど、柔軟に運用していたようです。
 
見難い画像ですみません。半自動ドアということもあり、このような取っ手がついていました。この取っ手が持ちやすく、しっかり閉まるのが好印象でした。
私が物心ついた時はこのようなハンドルタイプの取っ手はあまり多くなく、115系やキハ40形のような指をかける取っ手が主流でした。従って指に力をかけるので余計に重く感じたり、しっかり閉まらなかったりしたものですが、このタイプであれば力を入れやすいし、開け閉めもしっかり確認できるのになぁ…と思ったことを記憶しています。ただ、指をかけるタイプよりもメンテナンスが大変そうですが…


窓周りです。先述のとおり横引カーテンになりますが、ロールカーテン用の桟が残されていたこともこの画像から伺えます。その下にはちょっとしたテーブルも備わっています。そそ、冷房の下の区画は荷棚が撤去されていました。晩年はさすがにバス窓の車両はいませんでしたが、外から見てもカクカクしたユニット窓の車両が在籍していたようです。


ドア脇のロングシートです。薄い背もたれとそこそこ柔らかい座面がポイントですが、見てのとおりドアエンジンのカバーを兼ねたような座席に座り心地を求めるのは少し厳しい席だった記憶があります。見た目もどことなく箱の上に載せました…みたいな感じです。それでもこの座席で昔はたばこが吸えたことを灰皿の撤去跡が物語っています。
2人掛けの幅を確保するつもりか、ひじ掛けが独特の形状になっていますが、それにしても狭かった記憶が蘇ります。

 
クロスシートです。ドア〜ドア間では左右5組ずつが並びます。
狭幅車体の上に窓の下には暖房関係の配管がとおるなかなか狭い状況で、テーブルが遠慮気味だった様子も頷けます。ロングシート同様背もたれの出っ張りを抑えているのがわかりますが、座面のバウンド具合はなかなかのもので、へたっていた印象はありませんでした。モケットの蘇芳色が良い味を出しています。

 
クロスシートは乗務員室周りにも展開されています。左の画像は乗務員室外語の座席配置、右の画像はトイレとドアの間のクロスシートです。車体幅の関係もあるのかトイレの壁に接した座席も座席幅が他と変わらないようで、113系や115件の妻面とは事情がどうも違うようです。それにしても、半円の取っ手が実に良い味出しています。

 
そのトイレの壁と接した部分のクロスシート、そして排気筒の部分のクロスシートです。右の画像はデッドスペースを活かしてくず入れにしています。ナイスアイデアと言いたいところですが、逆に言うと座席がクロスシート主体になる分、なかなかこのようなゴミ箱を置くのも難儀したのかもしれません。
で、ヘッドレストカバーがグルッとこのくず入れの上も含めて巻かれているというのがご愛敬です。


取材時に感動して撮影したドアコックです。付け足された部分の文面「特にほかの汽車や電車にもご注意ください。」に時代を感じさせます。汽車ってあぁた…。

本当に網で仕上げた「網棚」です。網棚って実はあまり見る機会が少なく、せいぜい旧型客車くらいだったので…これは見て驚きました。戸袋部分が若干車体内側にはみ出しているので仕方が無いと言われればそれまでですが、戸袋窓部分と側窓部分で網棚を作り替え、そして冷房部分は撤去…この手間のかかる仕事っぷりが当時の当たり前だったのでしょう。


野宿明けの朝、タイムスリップしたかのような体験を何とか記憶が飛んでいく前に書き留めることができました。
ただ、記憶が飛んで行ったとしてもこの電球の暖かさを明り取り窓から見る発車前のヒトコマは忘れないと思います。
 
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