京都市交通局  狭軌1形[梅小路公園保存車]
 
  2012年に取材したのでポール回しを見ることができたわけですが、今はリチウムイオン電池で走る梅小路公園の名物電車。ちょっと保存の主旨がブレてきているようにも感じますが、確かに往年の…というにはなかなか振り返られない明治28年創業の京都電気鉄道の車両、(尤も登場は明治42〜43年という説がありますが−)雰囲気を愉しむのが良い愉しみ方なのかもしれません。
明治28年開業の京都電気鉄道から京都市交通局の路面電車、堀川線の主となり、引退したのは「鉄道ファン」が創刊して間もない1961年のこと。N電と称して引退を惜しむ記事が複数出ていましたが、NはナローのN、狭軌1形と称していたようです。
明治生まれの割に京都の平安神宮をはじめ静態保存車が多いのにビックリしますし、愛されているなぁとしみじみ思うわけですが、愛知県の博物館明治村とここ梅小路公園で実際に乗れるのも、また嬉しいものです。

 

 

 


車内全景です。1994年に復元し、取材は18年後の2012年になります。床が少しくたびれていましたが、窓から上、特に天井の造作の美しさは工芸品を見ているかのような車内です。前後の運転台つきのデッキから乗り降りする格好で、他の保存車や京都市交通局時代の画像を見る限りでは、座席配置や座席に関しては少なくても堀川線廃止時のものを踏襲しています。
昼間のみの運転だったので室内灯がつくシーンには出会えませんでしたが、趣味誌では白熱灯が照らす様子も写っていて…いやはや、なんとムーディな車内だったのだろう…と歴史の重みを吹っ飛ばして胸をときめかせるのでした(^^;;


デッキとの仕切りです。通路幅と同じ幅の開口が得られる両開きの手動扉が備わっていますが、下の方に隙間がチラッと見えるのはご愛敬…(^^;; 戸袋窓は外側にガラス、内側には網が入っています。ドアに手を挟まないための措置かと思われますが、復元の際に初めて設置した可能性もあります。その戸袋の手前、側窓一つ分は座席が設けられていません。
鴨居部の「27」はこの車両を示す番号になりますが、その鴨居部の緩やかな弧がこれまたお見事です。この車両では至る所に緩やかな弧が出てきて、この見せ方が工芸品と思う所以の一つにもなりますし、当時そのような意図はなかったかもしれませんが、シンプルに素材を活かした空間の演出はこの先もずっと引き継いで欲しい「技」だと思います。

 
明り取り窓は逆に社紋を入れて装飾を施しているわけですが、このあたりの魅せ方もまたお洒落で奥ゆかしさが感じられます。角度的に厳しいかもしれませんが、西日に照らされた時の見え方は想像するだけでうっとりしてしまいそうです。
この天井のダブルルーフの際限も見事で、藤で作った吊革も正式な記録が残っていないとされる中で、なかなか良い線言っているのではないでしょうか。吊革の支持棒が横方向に伸びている点もなかなか新鮮です。
反面、照明器具、特に傘は時代考証があったのでしょうか…素材が新しすぎて浮いてしまっている感じは否めません。当時の車内の写真とか残っていれば良いのですが…と考える取材班、もはや時代の流れが蛇行しています(^^;;;


床です。復元当初は恐らく木の素材そのまま…という状態だったので、その後焼いたのでしょうか?木の床自体は路面電車などで見かけますが、他の車両ではあまり見かけない状態の床です。
ちょっと意外だったのが点検蓋で、開ける時の取っ手はそれなりに目立つ一方、縁はあまり目立っていません。正直言って開ける時に力が必要になりそうな気がしますが…当時の蓋をそのまま再現したのか、はたまた蓋自体必要としていないのでしょうか。乗務員さんに訊けば良かったです。

 
先ほどデッキと呼びましたが…ヴェスチビュール…なんてちょっと言い慣れないコトバで紹介します。右の画像は天井の飾りで、博物館明治村で再現した際の「なんとなくクルクルしました…」という昔のアースのロゴマークを彷彿とさせるものではなく、往年のものが設置されています。
乗車時はステップを2段上がって、さらに客室に入るのに1段上がる格好です。ただ、最後の1段はあまり目立たないので、慌てて転ばないように…(^^;;
現役当時は正面に窓ガラスを設けた車両も多く、平安神宮の保存車などで今も健在ですが、動態保存車は梅小路、博物館明治村いずれもオープンスタイルです。


車内に戻りまして側窓です。カーブが美しい窓の外には保護棒、一方窓の内側には鎧戸が備わっています。下から引き上げて引っ掛けて止める格好ですが、その動作を行うためか、窓の桟が斜めに入っているのが画像からも伺えると思います。この加工が当時マストだったのかもしれませんが、今となっては丁寧な仕事に魅了されます。実はこの部分が一番のお気に入りです。


座席はロングシート1択です。ざっと8人程度が座れそうな長さです。
京都市交通局の路面電車として走っていた時にこのような座席だったのでしょう。真ん中の脚や蹴込み板の意匠にレトロかつ足元を広くとる工夫が詰まっていてなかなか唸るポイントですが、着座位置がどうも高め、かつ奥行きが浅めで「ムム、何かあったなこれは…」と思わずにはいられなかった記憶があります。座面の跳ね返りもバネがピンピンしていましたが、モケットは少しお疲れの様子でした。
袖仕切りもなかなか見ない形状です。

 
最後に改めて全景を。車両の奥には車庫が展開しています。右の画像は側面です。
どうもアトラクションのような感覚が拭えないだけに、もっと歴史的なアプローチでこの車両の魅力を伝えつつ体験乗車ができるような仕掛けが欲しいものです。
特に京都電気鉄道の歴史、開業当初の四方山話はきっと誰もが驚くと思います。
それを踏まえて…スタントマンによる救助網の実演を…誰ですか、「取材班を電車の前走りにするで」と言っている人は?!
 
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