JR東日本  キハ38形
 
  国鉄の通勤型ディーゼルカーといえばキハ30・35形ですが、冷房化も兼ねて国鉄末期に7両製造されたのがキハ38形です。ブラックフェイスがキリッと格好良い外観にアイボリーの車体が良く目立ち、八高線で腰高に駆け抜ける姿もそこそこに、久留里線での活躍の方が結果的に長くなりました。主要機器にキハ35形のものを使用しているとはいえ車体そのものは新しいこともあり、水島臨海鉄道に1両、ミャンマーに5両が譲渡されています。
このコンテンツは令和の時代にデジカメの画像を適当に見ていたら発掘した2011年のキハ38形の模様を、時折2005年の画像も交えながらお届けします。この手の車両が好きな私が9年近く寝かせておいた理由が見当たりませんが、久留里線でののんびりした雰囲気をご笑覧いただければと思います。
(取材・撮影 JR久留里線・木更津〜上総亀山)

 

 

 


車内全景です。3ドアロングシートの車内で、八高線移籍後にモケットが茶色から紺色に変わっています。国鉄末期あるあるの少し天井高が低いフラットな天井と、ディーゼルカーならではの排気筒が大きな特徴です。窓が開いていることからお察しいただけると思いますが、冷房の効きがあまり良くないことが多く、結局窓を開ける有様でした。戸袋部分に窓はありませんので「手を挟まぬよう」もありません(^^;;。


乗務員室との仕切りです。窓配置がなかなか面白いもので、国鉄末期の試行錯誤が生んだ結果でしょうか。キハ35形や当時新造された国鉄形ディーゼルカーを考慮すると半室構造になってもおかしくなさそうですが、こちらは堂々全室構造の乗務員室です。
そそ、仕切り扉の窓は横引カーテンになっているのもポイントが高いです(^^;;
久留里線と言えばタブレットという印象をお持ちの方も多いと思いますが、運転席側の窓は小さくなっています。


トイレが無い車両の車端部です。晩年は吊革の交換や優先席モケットを両側に展開するなど、細かい変化が見られました。キハ36形にあった妻窓はキハ38形では省かれていますが、国鉄末期の設計としてはむしろこちらが標準です。アイボリーの化粧板に少しくたびれた雰囲気を感じます。
面白いのが貫通扉の戸袋に近い位置に握り棒が縦方向に設けられている点です。そこに握り棒を設けるとあたかも戸袋に手を持って行かれそうな気がしますが…なぜそこにあなたは…?


2005年、つまり平成17年のキハ38形画像から、トイレがあった車両の車端部です。「あった」というのは久留里線ではトイレを封鎖していたことに由来しますが、関東鉄道のキハ350形とは異なり、そのままの状態で運用に就いています。
トイレがあったことから視線をそらすクロスシートもそのまま設けられており、久留里線で旅情を感じる稀有なアイテムになっていました。裾絞りが無い分周りに余裕が感じられない点もポイントです。


トイレだったスペースです。外側だけ見ればトイレそのものです。便所使用お知らせ灯もそのまま残っています。普段の近郊形電車では見ないトイレとロングシートの間のデッドスペースには消火器が入っています。
ドアノブが撤去されているためどう頑張っても使えなかったわけですが、トイレの中の記憶はキハ38形よりもキハ35形の外が見えるトイレ、言い換えれば「停車中は使用しないでください」が鮮明に残っていることから、改めて入ってみたかったものです。


天井は真っ平です。113系のようなスポットの吹き出し口が展開しており、平成のディーゼルカーによくある「ディーゼルカーの冷房ならではの違和感」はこの系列ではありません。ただ、冷房が弱いのです。それを補う扇風機がグルグルしていますが、嗚呼、見た目の若さと矛盾する重鎮の存在に何度救われたことでしょう…。
吊革は座席周りのみの設置でした。


扇風機です。通勤形ディーゼルカーとしての誇りは扇風機のスイッチが壁にないことに現れています。カバーのJRマークが色あせていますが、キハ38形の中にはここの部分が1両で3パターン存在するものもありました。もしかしたら113系あたりと融通を利かせていたのかもしれません。


床です。こちらも国鉄末期ならではの茶色一色です。

 
ドア周りです。腰高なキハ35形の系譜ということもあり、ステップが両開き扉の幅で設置されています。両開きとはいえ、不器用に一定速度で左右バラバラに閉まる様はキハ30形・35形の外吊り扉とは違う魅力がありました。鴨居部分が大きいのも外吊り扉にはない特徴です。
半自動ドアのスイッチが意外と高い位置に設置されています。
 
半自動ドアのスイッチは独特のもので、電卓を彷彿とさせるボタンはあまり他の車両では見かけません。昔東飯能で出会った西武4000系くらいでしょうか。押しがいが無いわりに、押すと良い音立てて開いたのが良い思い出です。
画像は2005年9月の久留里線で撮影したものですが、電化前の八高線で真冬に押して開け閉めした記憶が蘇ります。そそ、あの時は茶色のモケットでした。

外のスイッチは出っ張っています。結構押すのも力を入れていた記憶があります。


黒フレームの2段窓です。アイボリーの車体からこの黒フレームの2段窓が良く映えていました。上段、下段とも開きますし、カーテンも備わっています。外から見るとあまり窓が多くないようにも感じましたが、車内にはよく日射しが入るくらい開放的な雰囲気でした。そう、上総亀山に私が行くとだいたいピーカン…取材は常に直射日光との戦いでした。


ここからは座席です。乗務員室の背後の4人掛けから順に載せます。
この時代実は要所要所で採用例がみられるバケットシートで、型にはまるような座り心地が黎明期そのものです。似たような座り心地の座席としてはJR四国のキハ54形あたりが近いのではないでしょうか。モケットは紺色一色で大人しい色がかえって凸凹を強調していたように思います。あと、若干狭い記憶が蘇ったのは当時のバケットシートと今のバケットシートで座席幅が微妙に異なるからかもしれません。

 
ドア〜ドア間は9人掛けをベースに、排気筒の間は7人掛けです。ディーゼルカーならではの座面下のガラガラ具合にドキドキしてしまいますが、若干座面が低かった印象も思い出してきました。袖仕切りは右の画像のこげ茶がオリジナルになります。晩年化粧がボロボロで、黒い袖仕切りは何らかの加工を施したのでは、と思います。
9人掛けはさておき、7人掛けは通勤電車のドア〜ドア間の座席と同じ定員になります。車端部や乗務員室周りに余裕を持たせた構成の結果であり、同じ3ドアの近郊形電車との大きな違いにもなります。

 
ということで、トイレが無い車端部は8人掛けです。この部分は優先席を4席充てていましたが、久留里線への移籍当初は片側のみ優先席で、右の画像のとおり8席すべて紺モケットの座席もありました。そう、この光線状態が上総亀山の悲劇です。あの頃に戻って撮りなおしたい!今ならなんとか…?!
車端部がバサッと壁になっていた上に、冷房の吹き出し口のかんけいもあってこの車両の妻面はなかなかシビアな環境だったのではと思います。


トイレとドアの間は4人掛けになります。ここも片側紺のモケットだった時代があり、晩年は両側とも優先席になっていました。この部分の妻面はある程度余裕があります。袖仕切りのボロボロ具合にもご注目ください。


トイレ向かいのクロスシートです。なんだか不思議なフレームを搭載しています。ロングシートのバケットシートをそのままクロスシートにあてはめたような格好で、バケット部分から上はキハ35形のような懐かしい佇まいさえ感じます。また、裾絞りがない車体幅故に、この部分から見てもどことなく狭そうです。これでもクロスシートが珍しかった久留里線、私の中では当たり席でした。

 
斜めから撮影した画像です。今ならもう少しなんとかうまく撮れた気がしますが…うーん…。
なんだか相鉄のクロスシートを見ているような気分ですが、バケット部分とその上の部分の不協和音がなかなか粋でした。この不協和音なクロスシートは逆に採用例があまりなかったのでは、と思います。
モケットの様子を見ると硬い部分に頭をゴツゴツやっていたんでしょうね(^^;。
これも国鉄のお約束でしたが、この形式も妻面の座席はほんの少し幅を狭めています。


袖仕切りです。この黒いものはどのくらいの車両で採用されていたのでしょうか。
答えはミャンマーのミステリハンターが知っているはずです…。
でも、黒い袖仕切りはちょうど80年代後半の空気を感じて好きですね。


2005年の車内で見かけた懐かしい禁煙マーク。ドアの鴨居部に貼られていました。
ただ、2011年の車内にも禁煙マークは別のデザインとはいえ車内の仕切り部分に貼られていたので、禁煙を声高らかに宣言すべき事情があったのでしょう、きっと。


令和の時代に自作自演のタイムスリップ。どおりて歳を取ったわけです。
今宵もタヌキのようなお腹を勢いよく叩いて、乾杯。
 
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