JR東日本  201系「四季彩」新塗装車
 
  細かい話で大変恐縮ですが、「東京アドベンチャーライン」としてJR青梅線の青梅〜奥多摩間を売り出す約10年ほど前、青梅線の観光の切り札として活躍していた「四季彩」が役割を終えました。登場してからわずか8年弱の活躍の中で塗装を1度大きく変え、さらにはモケットも変えて出場するとは誰もが思っていませんでしたし、こんなに早く引退するなんて誰もが思っていませんでした。
新塗装はゆずや紅葉、レンゲショウマなど沿線の魅力をイラストに散りばめ、ごま塩のパッケージのような横引き線を引いてこれはこれでお洒落でした。
私事ながら、生活圏に極めて近いところを走るこの車両の取材を行ったこと自体(恥ずかしいので)そう何回もなく、割とこのサイトとしては早い段階で「こうご期待!」と打っておきながら気が付けば取材から11年。令和の世に「あの頃は若かった…」と嘆きながら文書を打ちます。さぁ冒険だ!(空回り)
(取材・撮影 JR青梅線 立川〜奥多摩)

 

 

 


最初の画像からしてやっちまった感が満載ですが、大目に見て頂ければ幸いです。青梅だけに…。
4号車、奥多摩方先頭車の車内全景です。登場時から片側のロングシートを撤去し、多摩川に向かって眺望ができる座席を設置していました。モケット変更後も健在です。
この車内、実は何気ない時間帯の列車でもそれなりの混雑を見せていたのですが、立席スペースが全てロングシートの車内よりも狭くなっていることが早速最初の画像からも伺えます。

立川方3両は多摩川が見える側にクロスシートを設置しました。こちらも窓側に大きなテーブルがあるせいで、車両の中央部分まで座席がはみ出している格好です。4号車の方が広そうに見えますが、実際乗った感覚でいうと立席スペースにさほど差はなかった印象です。
塗装変更の前も紫のモケットだったので気づく人もあまり多くなかったと思われるモケット変更ですが、今思えば日光線のような観光色もあまり出ていない車内だったんだなぁ…としみじみ。アドベンチャーラインがこの時に始まっていたらと思うと…楽しいモケット、窓から小動物がコンニチハ、踏み絵…もっと楽しい車内だったんだろうなぁとしみじみ。

 
乗務員室との仕切りです。こういう無難な画像は2枚並べてみました。左の画像は4号車、右の画像は1号車です。
戸袋窓がそのまま残った様子、そして乗務員室まで吊革が伸びていない点も種車そのままでしたし、前面展望にはあまりにも寂しい仕切り窓もそのままでした。むしろカーテンを下げることをお知らせするステッカーが貼られるほどでした。このステッカーは新塗装になってから貼り付けられたようです。
また、車番が記載されたステッカーも新塗装を機に本物に「似せた」ステッカーに一新されていますが、どうもこの広い壁を有効活用できなかったところはもしかしたら冒険指数が不足気味だったのかも…しれません。

 
車端部の様子です。このあたりから蛍光灯の色が黄色がかってきはじめます。右の画像は1〜3号車の奥多摩方車端部で、今となっては懐かしい通常の吊革の優先席仕様です。左の画像が4号車の立川方車端部で、車椅子スペースがついています。
妻窓が塞がれた姿に懐かしさを感じる人も、ステンレスの飾り気のない貫通扉に懐かしさを感じる人も多いかと思いますが、私は非常通報機のピクトグラムに新鮮さを感じました。このピクトグラムは新塗装後貼られたものです。
吊革の支持棒を活用した握り棒が設置されているのが画像からも伺えると思いますが、妻面には荷棚を撤去したネジの跡が多数残っていました。改造車ならではの光景です。


その車椅子スペースもやはり窓下の出っ張りが気になる仕様です。その窓下の銀の枠の中は非常通報機で、装置自体は四季彩改造当初からありました。随分と低い位置ですが、他に設置のしようが無かったものかと思います。
現在青梅線を走るE233系は1号車、つまり立川方先頭車に車椅子スペースを設けていますが、四季彩では逆に奥多摩方先頭車に車椅子スペースが設けられたのが今思えば不思議ですが、取材当時は立川〜拝島間でひょっこり顔を出していた事がある209系3000番台以来の車椅子スペース。そんな車椅子スペースのちょっとした天板をテーブル代わりに…なんて思っていた2005年の私に蹴りを入れたい今日この頃です。


天井です。こちらは改造前、改造後の変化はなく、最後まで丸い吊革とドア付近の三角の吊革が混在していました。ファンデリアもところどころありますが、クロスシート車の方は座席配置の関係でちゃんと満足できる冷気を得られていたかが妙に気になります。
シャッタースピードを速く切りすぎたため蛍光灯の色がヘンですが、ちゃんと本物は昼白色の蛍光灯でした。構図と言いあかりといい、取材当時の私に蹴りを入れたくなってきます。


床です。ちょっと青みがかったグレーの床で、201系本来のベージュの床から一新、ここはなんだか新鮮に映りました。


ドア周りです。クロスシート車の模様を見ています。窓ガラスに「ドアとホームの間の隙間を注意喚起するステッカー」が貼られていたのが青梅線らしさをよく示していました。画像では見えにくいですが「ひらくドアにちゅうい」のステッカーも貼られていました。画像ではクロスシートとドアの間に余裕がないように見えますが、実際のところ1人くらいが立っていてもなんとか邪魔になるかどうか…程度の隙間はありました。この隙間に立つと向きによってはクロスシートに座っている方と視線がバッチリ会いますし、4号車に至ってはなかなか立ち位置もままらなかったと思います。

 
窓周りです。既存の窓に対して大きな固定窓…これでどちらの方が風光明媚かは一目瞭然かと思います。
ただ、残念ながら大きいガラスは緑の色が若干ついたものでした。一方、戸袋窓も残ったのは意外でしたが、これによって今のE233系の大きな窓にも負けないスクリーンが展開していたのではないでしょうか。
クロスシート部分も含めて荷棚は6ドア車で用いる短いものですが、ハイカーの荷物はテーブルやその下の荷棚に入れていた記憶があります。窓上の荷棚よりもロールカーテンが欲しいくらいですが、この着色ガラスのおかげで立席の方も見入るように景色を眺められたと思います。
沿線は青梅街道よりも高い位置を走る区間が多く、特に沢井〜古里にかけての景色はなかなかのものがあります。


ロングシートです。ドア〜ドア間はどの車両も共通の7人掛けで、背もたれのみバケットシートになっています。なぜこの車両でバケットシートが導入されたかはわかりませんが、201系では珍しい座席になりました。
座面は柔らかく背もたれはガッチリというミスマッチな座り心地はモケット変更後もそのままでした。
四季彩登場時から設置された袖仕切りの風除けの板はその後JR205系、富士急6000系など様々な車種に設置されました。ルーツは413系あたりかもしれませんが、通勤形車両で言えば青梅線が発祥の地となるのでしょうか。四季を感じるイラストが入っていたのも懐かしいです。

 
車端部は通常仕様のモケットが変わったこと以外、見た目の変化ありません。風除け板が設置されなかったのも従前どおりで、いつものお客さんがいつもどおり座れるような席になっていました。今思えば2段窓の寒さと車端部のデッドスペースの居心地、どちらも懐かしさが溢れています。
あと、これは私だけかもしれませんがあまりここの車端部、3人ビッシリ埋まったところを見たことがなかったような気がします。取材した時間帯だけの問題かもしれませんが…。車端部は夏場は少し暑かったので、座席の幅以外にも居心地の差があったのかもしれません。

 
折り畳みの座席は4号車、つまり奥多摩方の先頭車に設置されていました。反対側のロングシートが7人掛けに対してこちらはペアシート2組、この居住空間の広さは硬い座面、直角の背もたれを差し引いてもなかなか贅沢なものでした。自然に閉じてしまう座席のため、画像のとおり普段はウォークスルーできる構成です。
足元空間が広い一方、右の画像を見るとテーブルの下に足を載せそうな人が出てきてもおかしくなさそうですが、そんなファンキーでヤンチャな方、私は見ませんでした。
前のモケットもそんなに痛みが出ているような感じはなかったと思うのですが、可動部分のことを考慮するとこの座席のモケットを見て交換を決めたのかもしれません。で、変更後のモケットがチラッと写っていますが、なかなか格好良くないですか?梅の柄。


こちらが梅のモケットでございます。川の流れというべきか、年輪というべきか迷ってしまいますが、この紫をベースに梅…あれ、梅ですかこれ?今まで梅だとばかりに思い込んでいたのですが…生物をはじめ理科ちゃんとやっていない管理人の迷走でした。おしまい。


クロスシートです。当時中央線や千葉地区、高崎地区で見かけることが多かった113系、115系のリニューアル車でも用いられていた座席です。あちらは中途半端なリニューアルのまま廃車を迎えましたが、こちらも短命に終わってしまいました。ドア〜ドア間で4人1組の座席が2組ずつ、ロングシートよりも1人多い座席定員でスタンバイしていました。この画像をご覧のとおり、ドアに近い席は視界に戸袋窓と側窓の間の桟が飛び込んできていました。

 
そのクロスシートです。やはり新しい物を設けたこともあってモケットの変更くらいで形状などの変化はありませんでした。故に出っ張ったヘッドレストに恩恵を授かる人が少ないフレームに低反発な座面で最後まで走りぬきました。
面白いのがひじ掛けはないものの、やや高い位置にテーブルがあるのでそこをひじ掛け代わりに使えてしまう点です。これはお酒を持つ手が抜群の安定感(^^;; 尤もお酒が飲めないくらい混む事もありましたが…。
座面下のカバーがテーブル下のデッドスペースとつながっている点もポイントです。


そのテーブルです。4号車では妙な位置に手すりがついていました。ドアエンジンやヒーターなど座面下に格納していたものをそのまま使ったために生まれた設備で、調理学校のキッチンのようなステンレスのテカリがポイントでした。
そのテーブルの下には荷棚もあり、大荷物の方にはさぞ喜ばれた事でしょう。こちらも出し入れを考えると4号車が一番使いやすくなります。尤も4号車のような座席だと足を載せるような人がいなければ良いのですが…いませんでしたよね?私は見ていませんよ?!


そしてこの眺望です。お見事。
 
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