JR東日本  京葉線201系900番台
 
  1979年、これまでの国電とはまるで違うスタイルの試作車が登場します。ブラックフェイスが凛々しい彼の名は201系。後に中央線の顔として親しまれる車両は僅か10両の試作車から始まりました。
試作車故なのか、はたまた久々の新型通勤電車だったからか、車内も車外もずば抜けて新鮮だったようで、その後登場した量産車においては採用されなかったり、見直された項目もあったようです。
オレンジ色でデビューした後、中央・総武線各駅停車に移籍、保安機器の関係で運転台つきの車両も含めて全車両とも中間車に封じ込めとなり、最後は京葉線での活躍となりました。オレンジ・黄色・水色とJR東日本の201系では珍しい2度の化粧替えを経て、2005年秋、惜しまれながら足早に引退してしまいました。
(取材・撮影 JR京葉線・海浜幕張〜蘇我)

 

 

 


車内全景からご覧頂きます。国電スタンダードの4ドアロングシートの構成はそのまま、205系や201系量産車などと比べると床のブルーがやたら目立ってちょっと寒色系が強そうな気がしますが、それはきっと201系900番台よりも後に出た車両に乗り慣れているからでしょう。103系に乗り慣れた人がいきなりこの空間に放り込まれたらあまりの違いにしばし呆然と立ち尽くしそうな気がします。

 
車端部の様子です。左の画像が優先席、右の画像が通常のモケットの座席になります。妻窓が埋められているのは201系量産車と同じですが、量産車よりも妻窓の下にある消化器入れを含んだデッドスペースの奥行きが広く、消化器入れそのものも車内真っ正面から見たときに隠れるような場所に設けられていましたが、さすがにそこまでは量産時に採用されませんでした。


こちらは乗務員室との仕切りです。ここでは戸袋窓の設置という試作車だけのわかりやすい違いを持っています。ただ、103系のように仕切りは2連窓+乗務員室の扉への窓・・・と窓だらけにはできなかったようです。真ん中の角張った窓も試作車ならではの特徴です。
すごくどうでもいいことですが、一部の先頭車では戸袋窓の下にほんの僅かなデッドスペースがあったため、実質的な床面積が足の裏1人分くらい減ってしまっていました。量産車ではそのデッドスペースはなくなっています。そのデッドスペース、一体何の目的があったのでしょうか・・・?


地下トンネル区間を走る京葉線。非常通報機が各車両、手に届きやすい位置に設けられています。特に中間車は広告枠を下げてまで妻面上部という位置を選択したこだわりを発揮していました。惜しむべきは周りと色が似すぎていて、あまり目立っていなかったことでしょうか・・・(^^;;


天井周りです。きれいにフラットな天井に仕上げ、ラインデリアも中央にどすんと設けられています。しかしながら、左右両脇の広告をご覧頂くと実感できますが、天井の高さが低くなってしまっています。さっと乗ってさっと降りる分には問題ありませんが、その後量産車では天井の高さを若干高くしています。
吊革はデビュー時は広告枠つきのものを使っていましたが、晩年は丸いものに切り替わっていました。


床です。見事なまでに青です。ちょっとくすんだ、いやいや灰色がかった青です。

なお、一部車両では登場時に試験的にスタンディングポールが設けられており、晩年までその跡が見られました。捜索された方はもうお気づきだと思いますが、今回はそれが設けられていない車両での取材となってしまいました・・・。
実際天井の跡には蘇我での取材時に気づいていただけに、何で撮らなかったんだと小一時間省エネ気味に反省のポーズです。

 
側ドアです。量産車ではドア窓に合わせた長さになりましたが、にょきーっと伸びた戸袋窓が印象的です。右の画像は天井の低さに合わせるようにカバー部分にカーブをつけた鴨居部の様子です。広告が天井に「へばりついている」状況も感じますでしょうか。
ドアそのものは無塗装のものながら、その大きさやガラスの支持方法などにキリッとした洗練さがあります。特に外から眺めるとその様子が顕著に表れます。


座席です。まずはドア〜ドア間の7人掛けからです。登場時は茶色のモケットでしたが、中央・総武線各駅停車時代に水色ツートンのモケットに改められています。そこだけクローズアップすればくたびれ具合も含めて「あ、201系だ!」と思うところですが、袖仕切りの形状はかなり独特ではないでしょうか。
 
3人掛けの座席で検証していくと、袖仕切りの奥の方が網棚に向かってにょきにょきーっと伸びております。恐らく網棚と袖仕切りを一体的にみせるための装飾で、化粧板とパイプを併用した袖仕切りを作るに当たって、営団6000系あたりのデザインを目指して作ったのでしょう。しかし、営団6000系の物ほど一体的ではなく、単なる装飾としては中途半端だったのでしょうか、量産車では袖仕切りにこそ化粧板が使われたものの、にょきーっと網棚に伸びる化粧板はなくなっています。

量産車で戸袋窓が短くなったのもこの袖仕切りの形状が変化したことが一つの原因なのかもしれません。

 
優先席はいつものお約束、優先席モケットに変更されています。周りとの色の調和はある意味壊しているような気がしますが、若干モケットが目立たない分これくらい目立った方がより優先席をアピールできるのかもしれません。
袖仕切りは優先席に限らず全てにあてはまるのですが、内側の肘掛けに相当する部分の下のみ白い化粧板で覆っており、他のベージュ色よりも目立つ格好になっています。せっかく網棚まで統一しようとぐいぐい背伸びしていたのに、根元の色違いが目立ってしまっているのは少々残念です。




次世代の通勤電車と脚光を浴びてから、惜別の引退までの人生がなんと短いことか。
新鮮な物に見えていた物が、あっという間に懐かしのアイテムへと変化を遂げてしまうことが多いのは、自分もそれだけ足早に年老いたのか。それとも周りが変貌する速度が上がり続けているのだろうか。

結果から言ってしまうと、数年後さらに驚く事になるわけですが・・・意外な風の吹き回し、かつ極めて簡素な引退劇にただ驚くだけしかできなかった、2005年の秋でした・・・。

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