JR東海  119系5000番台
 
  昭和53年、旧型国電の宝庫だった飯田線向けの新型車両が投入されます。119系です。一つの路線に向けて車両が投入されるということがなかなか珍しかったとは思いますが、みんな大好き旧型国電の追い出し役になってしまい、投入当初の評判は果たしてどうだったのでしょうか。
東海道線の「するがシャトル」にもチャレンジしましたがなかなか成果を挙げられず、飯田線を中心とした運用に終始しました。2012年のダイヤ改正で213系に置き換えられましたが、一部の編成は福井県のえちぜん鉄道に譲渡されて今も現役バリバリです。
バリエーション豊富な119系を追い回すことができなかったのが残念ではありますが、今回はインバータークーラーに改造し、非ワンマン車両だった5000番台を中心に取り上げます。
(取材・撮影 JR飯田線・豊橋〜飯田)

 

 

 


車内全景です。裾絞りの無い車両はちょっと小ぶりに見えますが、3ドアセミクロスシートの綺麗な車内が旅情をかきたてます…と簡単に言えるのは、旧型国電がいる世界を体験していないから、と言えるでしょう。製造当初は非冷房だったものの、このアイボリーと茶系で手堅くまとめた車内は明るく映った事かと思います。ヘッドレストカバー、そして側窓のテーブルは後付けになります。
座席配置だけ見れば3ドアセミクロスシートの系譜、つまり113系や115系と同じような車内展開を予想するところですが…。


乗務員室との仕切りです。真ん中に仕切り扉があり、その両隣に仕切り窓が小さく、少し丸みを帯びて設置されています。クモハ119形の仕切り扉はちょうど点検蓋の縁と重なるような位置に扉が来ます。そこまでは良いとして…

驚いたことに、この仕切りとドアの間に座席がありません。通勤形のように仕切りとドアの間をなるべく詰めて、座席を設けないような構成にしたのです。実に割り切った配置ですが、113系、115系はもとより119系の前にデビューした3ドアロングシートの105系でさえこの区画に座席があったので、無いことに違和感を覚えます…。 後々ワンマン運転改造時にこの部分のスペースに苦慮するだけに、タイムマシーンにお願い…ができたら105系もこうなっていたかもしれません。


トイレが無いクモハ119形の車端部です。こちらもドア〜ドア間の座席配置の煽りなども受けて、4人掛けのロングシートを配置しています。そう、中途半端にクロスシートを置くと中途半端な座席配置になってしまうのです(^^;; 妻面は少し厚みがあって、その厚みを活用して消火器を格納しています。
配電盤でもあるのでしょうか、機器スペースの開き戸が無い画像左側には広告枠と横長の握り棒がスタンバイ。この広告枠の路線図や、沿線の山の名所を記した横長の写真は単調になりがちな車内において貴重な案内役でした。


辰野方先頭車の後方にはトイレが設置されていました。近郊形電車としてはその後211系でも採用されたロングシートの向きを変えたような背もたれの低いクロスシートが右奥に、その向かいに長距離客のミカタ、トイレです。手前は左右どちらも2人掛けのロングシートで、115系などと比べるとドア〜妻面の奥行きが短いことが伺えます。
妻面、非常灯の上には配電盤らしき機器箱が二つ設置されています。集中冷房車には無いこの箱、恐らくインバータークーラーの関係の機器かと思われます。


トイレとの仕切りです。見難くて申し訳ないですが、扉の下に段差を埋めるようなスロープのようなものが設置されています。スロープというには急すぎますが(^^;; これ、登場時から設置されたもので、床をいわゆる113系や115系よりも若干低めにしたために生じた段差を埋めるためのパーツかと思われます。これ、意外とつまづきそうになった方がおられたのでは…と思います。
禁煙ステッカー、便所使用お知らせ灯、非常通報機等はまとめて設置されていました。ロングシート部分には吊革がぶら下がっていますが、特段増設はされませんでした。

 
インバータークーラーを搭載した天井です。独特のダクトとダクトのでっぱりに合わせた蛍光灯の配置がポイントです。合間には扇風機もぶら下がっていますが、晩年までJNRの表記を残していたのは他のJR東海の車両にもみられた事象です。
119系は集中型クーラーを搭載した編成もいましたが、このインバータークーラーの車両はそれよりも天井の出っ張りが賑やかで、あまり効かないものの音は立派な冷房だった記憶があります。

扇風機のスイッチです。国鉄の近郊型車両ではお馴染みのスイッチでしたが、非冷房時代も、冷房化後も扇風機の存在が飯田線の旅をより快適にしていたことでしょう。登場時は7台の扇風機が頑張っていました。


ショートショートな画像ですみません。床は茶色一色で、JR東海らしく晩年までキレイな状態を保持していました。
点検蓋と仕切り扉のくっついて離れない様子もご注目ください(^^;;


ドア周りです。半自動ドアということもあり、鴨居部分がやたら大きかったのが特徴です。場所によってはここに沿線の山を紹介する広告を入れていました。
ドアは金属押さえのスッキリしたタイプのもので、無塗装のステンレス。狭い幅の戸袋窓が通勤電車のそれを思い起させますが、3人掛けロングシートはその戸袋窓に続いて縦長の側窓…この窓配置に近郊形らしさを感じます。

 
ドアの手掛けです。右の画像は車外、左の画像は車内になります。正直あまり目立ちません(^^;;
キハ40系列はボタンが入りましたが、119系は廃車まで手でガラガラガラ〜と開け閉めする仕様でした。さては信州の115系に遠慮していたのでしょうか…(^^;;


窓周りです。登場時は灰皿が設置され、テーブルはありませんでした。いつの日にか灰皿が撤去され、テーブルが設置された格好ですが、旅行客が多い飯田線であればテーブルは半ば必須のように思います。冷房装置搭載の見送りもそうですが、この細かい配慮が無かったのは当時の時勢か、はたまた…。
下段は開かないようにツマミが撤去されています。


ドア〜ドア間は原則セミクロスシートです。中央のドア付近に2人掛けのロングシート、そこから離れるように4人1組の固定クロスシートが左右各2組。そして3人掛けロングシートで前後ドア付近の立客スペース確保にも努めています。
この背面にも灰皿が設置されていましたが、さすがに今はありません…。

 
クロスシートです。お馴染みのこの形、会えばホッとするこの形です。裾絞りが無い分見た目が狭そうですが、実際定員どおりの着席が無ければさほど気にはなりませんでした。座面の幅自体がゆったりしているからかもしれません。
この手の座席は何もしないのが一番。事実、このクロスシートの座り心地はまずまずでした。121系では通路側の取っ手付近にアクセントを加えましたが、この119系は極めて直線的な、オーソドックスな佇まいです。


中間のドア付近は2人掛けロングシートです。119系のロングシートは105系のような近郊形よりの奥行きの深いものではなく、奥行きの浅いロングシートを採用しています。これをラッシュ時対策と銘打って採用したようですが、長距離客はクロスシートへ、短距離客はロングシートへ…という暗黙の作戦でもあったのでしょうか。青春18きっぷの時期などはこのロングシートで長距離乗り通す方もチラホラ見かけました。

 
前後のドアに近いロングシートは3人掛けです。縦長の窓が2つ並んでいる点が見た目上のポイントです。また、辰野方先頭車はトイレに近いこの区画を優先席にあてがい、灰色のモケットを採用していました。
確かに画像でこの部分だけピックアップすれば3人掛けのロングシートに見えますが、ドア〜ドア間の座席配置でロングシートの長さを変えるケースはこれまでになかなか無く、果たしてこの座席が定員どおり座っているシーンがどれくらいあったかは気になるところです。


そして豊橋方先頭車の車端部は4人掛けの優先席でした。私鉄では東武や東急など4人掛けロングシートがそれなりにありましたが、これもなかなか珍しい長さだったと思います。国鉄末期、過渡期のアレコレを形にしていった結果だとは思いますが、この後に製造された121系では車端部は5人掛け、ドア〜ドア間も3人掛けのロングシートが2人掛けに改まるなど、あれ、119系の成果は…?という結果に逆戻りしています。つまり…そういうことです(^^;;

今となってはちょっと懐かしい灰色一色のロングシート。もっさりした見た目がポイントです。


トイレの向かいの座席はいずれも2人掛け。クロスシートとロングシートです。この配置、近年はトイレの隣を車椅子スペースにすることが多くなってあまり見なくなりましたが、一時期改造車を中心に「トイレの向かいにロングシート」という配置が横行したことから、如何にこの配置が素晴らしいか声を大にして叫んでいた時期があります(^^;;

 
そのクロスシートとロングシートです。クロスシートは乗り降りしやすい袖仕切りを採用する一方で、ロングシートも左右両側に袖仕切りを配置、場所の不利をカバーするかのような万全な体制です。
取材していて思わず「?」になったのが窓際のテーブルです。この区画にテーブルを設けるケースはなかなか見られません。製造当初はなかったので後付けと思われますが、ここまでつける必要は果たしてあったのでしょうか…。
座席は妻面の幅にピタッと収まっているものの、袖仕切りは若干通路に張り出した状態で設置されていました。その微妙な形状をもっとじっくり見たかったものです。

旧型国電を追い出した彼らですが、私はこのこげ茶のモケットに包まれた移動はなかなか良いひとときでした。
晩年、復刻塗装を施したり119系のお別れ乗車で盛り上がったりしたのは、119系にとっても、鉄道ファンや沿線の方にとっても、良い思い出になったのではないかと思います。そして銀色の足音が…嗚呼、時代は巡る…。
 
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