岡崎南公園保存車・HSST-03号機
 
  この外観を見て懐かしい!と思う方は…昭和60年につくばで行われた科学万博の記憶が蘇ってきているかもしれません。つくば、カナダ、岡崎と走り、平成2年から岡崎南公園で静態保存されているリニアモーターカーがHSST-03です。
塗装はデビュー当時のままですが、さすがに展示走行はできない仕様になっています。それでも屋根がかけられ、「D51688号蒸気機関車保存協力会」の方が毎月手入れをして、かなり良好な状態が保たれています。スミから隅まで愛されている証拠です。
つくばの科学博の時には住友電気工業と日本航空のダブルネームがわかるような表記が側面にありましたが、現在はありません。一方、車内に入ると鶴丸がチラリチラリ… 往年の鉄道ファンの記事のタイトルも「日航HSSTのプロフィール」と日航を前面に出す新鮮さ… 記事は空港アクセスに関する憂いが爆発していますが(^^; この時培われた技術は同じ愛知県のリニモに活かされています。

 

 

 


車内全景です。全長13.8m、全幅2.95m、補助席を含めた座席は50席で、クロスシートの車内です。
つくば科学博の時の車内の様子はyoutubeなどの動画サイトで見ることができますが、概ね、その時の雰囲気をキープしています。大きく異なるのは側窓が曇ってしまっていることと、蛍光灯の点灯が無いことくらいでしょうか。モケットや床の色も当時のままです。
つくば科学博が行われたのは1985年、当時としては天井の意匠などが新鮮に映ったかもしれないし、アテンド役のスチュワーデスさんの次に飛行機っぽい雰囲気を感じられた部分かもしれません。

 
両端には乗務員室が備わっています。つくば科学博の時の様子を見ると運転手が乗っていて、発車時に必ず必要なレバー操作と万が一のブレーキ操作担っていたようです。とはいえ、ご覧のとおり運転席と客席との仕切りは一切なく、大きな窓から前面展望が愉しめるような構成にしていたのは眺望のウリを前面に押し出していたから…かもしれません。幼少のワタシにはプラレールの「スーパーひかり」号のような格好良さを感じた一方、今となっては…暑そう…(^^;; そうそう、頭上注意の区画でもあります。
 
運転席周りです。当時のモケットが擦れてしまったこともあり、現在は両側とも座席にカバーを被せています。非常ボタンやレバーなど運転操作に必要な機器類は右手にまとまっている他、左右両側のカバーを外すと様々なスイッチや計器類が収まっています。そのカバー裏側には、引退時に書いたと思われる関係者の寄せ書きも…。
寄せ書きとともに見慣れないのは運転席の足元周り。いざという時のブレーキが足踏み式だったり、周りよりも床が低かったり…そして、片側のレバーには鶴丸マークのシールが貼られています。


天井周りです。間接照明ですがカバーが擦りガラス調になっていて、つくば科学博の時の動画を見る限り、照明に過不足はなかったようです。むしろドア周りも含めて車内の端から端まで照明が続く様子を見て「飛行機のような雰囲気」という感想も聞かれるくらい、斬新な雰囲気だった事かと思います。一方、空調は新交通システムのように両端のみ…この窓の大きさ、そして軽量化が求められるシチュエーションにおいて、どこまで空調が機能したかは気になるところです。
もう一つ気になる点は照明に隠れるように備わっている消火器…特に消火器が備わっているような表記は見ませんが、現役当時もこの位置だったのでしょうか。


床です。青いカーペット張りの床は現役当時から変わらない一方で、市販のカーペットを上から敷くなど、「D51688号蒸気機関車保存協力会」の皆様のお心遣いにただただ頭が下がるばかりです。


ドア周りです。片開き扉のプラグドアで、鴨居部に近い位置には補助座席向けの座席番号が表示されています。照明の高さは座席部分と同じですが、開口部の高さは意外と低め、ドアが開いている時に外から見るとドア駆動部分が剥き出しの状態で見られます。お邪魔したのはちょうど清掃中で、ドアを開けたり閉めたりしている場面も見ましたが、手動での開け閉めはかなり大変そうでした。加えて蛍光灯部分のパネルも一部ネジが外れているところもあり…保存の難しさ、ひしひし感じます。

ドアコックの説明が書かれたプレートです。よく鉄道車両で見るデザインのものとは一線を画すもので、シンプルながらより多くの方に伝わるよう2か国語での表記になっています。そして、声に出して読みたい「ァ」です。

 
側窓です。経年劣化で残念ながら曇ってしまっていますが、FRPの枠は登場時の状態を保っていますし、この窓枠をつくば科学博で見た方はきっと非日常の額縁のように捉えていたことでしょう。尤も、この大きさでカーテンが無いのは短時間の乗車だからなんとかなっているところでもあり…(^^; 右の画像は座席番号を示すプレートで、こちらも「窓側」「通路側」の表記はありません。なお、補助席で1席だけの区画はE席、「CENTER」の表記です。わかりやすい。


運転席です。今でこそカバーで覆われていますが、その下には往年のモケットが残っている様子がところどころから見ることができます。やはりお子様連れには人気の席のようで、特に劣化が激しいとか。それでもなお登場時の様子を保っているのは立派です。


乗務員室の後ろには前面展望カブリツキのような格好でクロスシートが控えています。足元は狭めですが、少し伸ばすと運転席まで届いてしまう距離感、実用化というよりも短距離の展示走行を目的としているところが伺える場面です。
小さいながらも窓側に肘掛けを設けている点は見逃せません。モケット同様劣化の激しいパーツの一つになりますが、ここの劣化があまり見られなかったのは日頃のメンテナンスの賜物と、公開日の少なさ(かつ、監視が行き届く環境)であることが功を奏しています。

 
座席背面です。クロスシートで構成された座席はドア〜ドア間は4人1組が左右2組ずつ、ドア〜車端部は4人1組が左右1組ずつ、そして2人掛けのクロスシートが左右2席ずつという構成です。補助席の有無に関わらず背面の形状、素材は全く同じです。運行期間が長かったら少し着座した跡が残りそうな素材ですが、大変キレイな状態に保たれています。

 
補助座席です。片側は3人、もう片側は2人着座できるように備わっています。アテンド役のスペースの有無などは特段考慮されていないようですが、もしかしたら、つくば科学博のホームの向きなどを考慮した結果かもしれません。
こちらも通常仕様の座席同様モケットがキレイな状態で残っています。聞けば当時日本航空の旅客機で使用されていたものと同じものとのことですが、インターネット上でそこまで確認することができませんでした。いつか確認したいのですが…。
今でも簡単に下ろして使用することができますが、取材時は一部区画の立入が制限されていました。

 
HSSTの表記が素敵なクロスシートです。背丈の低いスタイルで、見るからにソファのような格好です。実際着座すると思っていたとおりに沈み込みます。座面、背もたれともに1人分ずつ独立したもので、座面はフレームとマジックテープで止まっています。
1984年生まれの車両だからこそのスタイルだと思います。軽量化が大事な要素になるHSSTだからこそ、あと10年遅く登場していたらJR215系のようなフレームが印象的な薄めのバケットシートになっていたかもしれませんネ。

脚台は紺色に塗られています。ところどころヒーターと思しき装置が備わっています。
それにしても…窓枠よりも高い位置の肘掛け、早くもこの形式で実現していたんですね…(^^;;;

 
アテンダント役のスチュワーデスさん(あえてこう呼んでいます)が案内で使用していた受話器、そして運転台周りで見つけたシールです。どちらも日本航空の鶴丸マークが貼られています。

日本航空の挑戦は結局リニモで実を結ぶことになりますが、筑波で、岡崎でリニアが走ったということはもっと称えても良いと思いますし、許されるのであれば、いつまでも岡崎で見ることができるといいな…と思うほど刺激的な取材でした。
願わくば…1985年にタイムスリップして乗ってみたいものです。

車内の公開などの情報は岡崎南公園や「D51688号蒸気機関車保存協力会」のホームページなどでご確認ください。
 
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