ひたちなか海浜鉄道  キハ2000形
 
  茨城県は懐かしいディーゼルカーの宝庫でした。私は残念ながら鹿島鉄道には乗る機会がなかったのですが、2010年6月某日、夜な夜なひたちなか海浜鉄道に行ったらこの車両が目の前に現れました。キハ2000形です。
元々留萌鉄道で増備されたキハ2000形ですが、車歴が若いうちに留萌鉄道の旅客営業が終わり、茨城交通に移籍した経緯があります。晩年は懐かしい塗装になり、2015年まで活躍していました。2両中1両は廃車になったものの、1両はなんと九州の平成筑豊鉄道金田駅に移動し、運転体験に活用されています。北海道から九州への大移動に驚きを隠せません(^^;; いずれそちらにも行ってみたいですが、今回はひたちなか海浜鉄道での取材の様子を令和2年の空の下で振り返ってみたいと思います。
(取材・撮影 ひたちなか海浜鉄道湊線・勝田~阿字ヶ浦)

 

 

 


車内全景です。夜の取材だったため、だいぶ苦労した思い出が蘇ってきます…。
2ドアでドア付近はロングシートが展開しますが、基本はクロスシートの車内です。入ってまず感動したのが木の床。これは道内に多数在籍したキハ22形にも見られる北海道の耐寒仕様そのもので、まさか茨城県で体験できるとは…と嬉しかったものです。
ただ一方でデッキが撤去され、窓は一重窓で、なんだか開放的というか、スッキリしているんですね…ここは茨城に来てから改造されたのでしょうか。トイレは元々ありません。
小樽市総合博物館にいるキハ22形とは化粧板の色が異なり、なんとなくキハ22形だとベージュの化粧板という印象が強いですが、関東にいる分にはこちらの化粧板の色の方がお馴染みだと思います。


乗務員室との仕切りです。「禁煙」のステッカーが貼られていた部分がデッキの壁があった証拠で、床や袖仕切りの経年から察するにかなり早い時期に撤去されたものかと思われます。
半室構造の乗務員室ですが、開放部分にも簡素な壁、そして両側に手すりが設けられています。この部分の斜めの手すりは路線バスを彷彿とさせますが、この手のディーゼルカーではあまり見ない設置例です。
撮影してから10年、整理券発行機のオレンジも懐かしいアイテムになってしまいました。
 
連結時の様子はこちらで、運賃箱を回転させて通路を確保しています。連結部分には右の画像のようなプレートが貼られていますが、このプレートの年季の入り方、そして空間の暗さが少し怖かった記憶があります(^^;;


天井です。これも見渡してビックリしたのですが、扇風機がありません。短い蛍光灯が点々と設置され、ベンチレーターとつながる通気口と中吊り広告がポツリポツリ…こちらも製造当初からこの仕様だったのでしょうか。小樽や幸福駅で保存されているキハ22形はいずれも扇風機がついているものの、小樽のキハユニ25形を見るとついていないのでそういう仕様も選択肢の一つだったのかもしれません。いずれにしても、湊線の夏場はさぞ大変だったかと思います。


木の床です。これに出会えたのが嬉しく、よくこの状態を保てていたなぁと感心するばかりです。

 
ドア周りです。デッキ付きの車両だったので半自動ドアのボタンはありません。また、塗りドアではありますがキハ20形で見られたプレスドアではなく、見た目スッキリしているのがポイントです。
ドア付近からステップにかけては鉄板で覆われています。ステップも狭く、照明は特段設けられていませんでした。質実剛健なつくりです。ワンマン運転時、無人駅では先頭のドアから乗り降りする流れだったので、残念ながらドアの開閉シーンまでは覚えていません。


側窓です。パイプを通した荷棚も支持棒がなかなかレトロな意匠です。その下の窓はスッキリした1段上昇窓です。上昇窓もすっかり珍しい存在になってしまいました。画像のキハ2004では座席番号のプレートやシールは貼られていませんでしたが、キハ2005ではシールで座席番号が貼られていました。
クロスシートに設けられたテーブルは窓枠をちょっと張り出す格好で飲み物くらいは置けます。キハ20形などでもお馴染みです。かつてはセンヌキがあったんだろうなぁというようなネジ跡もチラチラ…。


ロングシートです。背もたれに張りが無く、座面も含めて薄っぺらい座り心地でした。乗車時間も短く、速度もあまり出さないのでじゃじゃ馬にならない乗り心地だったのが幸いだった記憶があります。
薄緑に塗られた座面下のカバーもドアコックの穴がポイントです。戸袋部分だけでなく少し長めにロングシートを設けていたのは通勤・通学の短距離利用需要を考えてのことだと思います。
画像は優先席でしたが、優先席・通常席の区別はステッカーの表記以外はありませんでした。
そして簡素な袖仕切りです。デッキの壁の代わりに設けられたもので、キハ20形のような少し座席の前に着地!というものではなく、床から天井まで伸びる手すりがいかにも後付けした感じを思わせるものでした。


クロスシートの背面です。半月の取っ手、そして灰皿があったことを示す跡、化粧板とフレームの薄緑が往年の貫禄そのものです。フレームまで薄緑で塗るケースはやはり珍しかったと思います。ドア~ドア間にクロスシートを左右6組ずつ設置し、間には排気筒も挟んでいました。

 
ということで、壁の落書きも目立っていたクロスシートです。薄緑のフレームはまさに上から下まで全身!これに紺のモケットの組み合わせは懐かしさよりも新鮮でした。
こちらも窓の下に暖房用のダクトが入り、狭いダクトの上に足を載せていた様子がこすれた跡から伺えます。足元も狭く、幅も割と狭い座席でしたが、座面のバウンド具合だけは立派だった記憶があります。
肘掛けが窓側に無い点は国鉄形の近郊型ディーゼルカーでもよく見られます。留萌鉄道から同時期に移籍したディーゼルカーの中にはもっと狭い車両もいたので、通路側のひじ掛けだけでも立派に見えたことかと思います。


排気筒部分はご多分に漏れずデッドスペースを挟んでクロスシートを展開しています。取っ手も半月ではないデザインのものを使用しています。この部分も何も加工することはありませんでした。
小樽のキハ22形には窓周りに寄りかかれるような薄いヘッドレストを設けていましたが、この車両にはありません。北海道→茨城→福岡と渡り鳥のような移動をする割に、車内は短距離輸送に徹する姿勢を貫いています。


こちらのプレートがデッキだった部分の壁に貼ってありました。
この危険物持込禁止はここでしか見たことないですし、良く見ると「バス車内」と書いてありますし…
ほのかに暗い車内で見つけて、さらに血の気が引いた記憶…
下の囲みの部分がなかなか格好良いのが救いですが、あぁた何歳ですか一体?!
 
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