銚子電鉄  デハ1000形
 
  今ではすっかり銚子電鉄らしさが漂っていますが、この車両が2008年現在銚子電鉄の在籍年が一番浅いことになっています。デハ1000形です。
元は営団地下鉄2000形という銀座線で活躍していた車両で、両運転台化などを行い茨城県の日立電鉄にこの2両も入線することになっていました。が、なぜか銚子電鉄に入線、そして日立電鉄が亡き今、往年の営団地下鉄の余韻に浸れる数少ない車両として活躍を続けています。
2008年の取材時には1両が桃太郎電鉄のラッピングに、もう1両が画像のような塗装になっており、特にこの車両の上半分は銀座線を彷彿とさせます。この塗装はある漫画の原作者が考案したと言うことで、何をどう描きたかったのかは自分にはわかりませんが(^^;;海沿いを走るローカル線の牽引役としては実に堂々とした風格を醸し出しています。
(取材・撮影 銚子電鉄・銚子〜外川)

 

 

 


アイボリーの化粧板よりも外の寒々しい景色が気になって仕方がない車内全景です。これでも8月の取材です(^^;;
全体的に暖色系のトーンでまとめられており、800形とは真逆の印象になります。床や側面を見る限り一度今風にリニューアルしている気がしますが、冷房はついていない貴重な車両?!になります。
3ドアロングシート、そして両開きドアは収容力の点から行けば銚子電鉄の力持ち的な存在になります。


ワンマン化設備も整った乗務員室との仕切りです。一応全室構造になっていますが、なぜかちょっぴり開放的な雰囲気が漂っています。整理券発行機も目立たないながらしっかりあります。
種車が地下鉄車両だった所以もあるのでしょうか、ちょっと仕切り周辺が暗いかな・・・という印象を抱きましたが、気になって仕方がない!というものではありません。


ワンマン機器を見ていきます。動線の関係で左側の座席は撤去され、実質車椅子スペースとしての要素も兼ね備えていますが、そのようなアナウンスはありませんでした。
短い区間を行ったり来たりするだけなので運賃表も紙の物を使用しています。


行灯に挟まれながら天井です。ご覧のように丸みを帯びた天井は冷房関係のダクトは全くなく、非常にシンプルなしくみになっています。両脇の吹き出し口のような物は通風機からの風になり、ここと扇風機で中の空気の入れ換えや撹拌を行う形になります。全線乗り通したとしても、外気をまったり感じるのも悪くない距離、時間だと思います。


扇風機は青い羽根、枠も中央部分が抜けた物が使用されています。この雰囲気、個人的に京急を感じるのは羽根の色が似ているから、ということだけでしょう(^^;; ちなみに営団7000系などで使用されていた扇風機とは違う物になります。


両端ベージュ、中アイボリーというツートンカラーの床です。いかにもワンマン電車らしい、通路部分とそれ以外をさりげなく分けた格好です。


側ドアです。ある意味このドアが営団地下鉄らしさを一番残していると思います。何しろこの小さなドア窓、そして一生懸命側窓に高さを揃えた戸袋窓。営団独特のアイテムが乗った時から楽しめる、そんな雰囲気です。
ドア上の鴨居部は小さめで、一応路線図が貼られていますが大きさ控えめ、あまり目立ちません。


その先の側窓、そして網棚です。やはり製造されてからあまり年月が経っていない(・・・他の在籍車両と比べてです。念のため)こともあり、スマートな、あまり装飾性に富んだ雰囲気のない構成です。
しかし、側窓と側窓の間の化粧板を見て小さく喜ぶ自分がいます(^^;; お、今では見られないこだわり見〜つけた!と(^^;;;


その下、網棚を支える袖仕切りが床まで伸びる座席です。ドア〜ドア間は8人掛けでしょうか。蘇芳色一色のモケットはやや疲れ気味ですが、座り心地にもその傾向がちょっとだけ見られます。座り心地は・・・銚子に来るまでの間に鍛えられていると思うので(特に青春18きっぷで113系を乗り継いで来られた方は・・・)短時間くらいどうってことないです。むしろ、短時間の間に座って頂いてゆったりくつろいで欲しいなぁと願う次第です。


端の席は袖仕切りもモケットの色も異なります。優先席ということで紫色のモケットを用いた1人掛けの席です。これ、両方向とも片方ずつついています。
ロングシート車で1人掛けのロングシートというのは滅多になく、個人的にはこのアイテムだけで懐かしの雰囲気が漂ってきそうな気がしますが、運転台を設けた際に設置されたのかと思います。座席下のヒーター形状はドア〜ドア間の座席と同じ物を切り詰めて使っているようです。

個人的には半室の運転台にして座席をまっすぐ車端部まで伸ばして欲しかったのですが・・・ワンマン運転だけにそこまで求めるのは酷ですよね(^^;; 失礼致しました。


最後にもう一つ、営団時代の懐かしいアイテムを。この予備灯は頻繁についていたそうですが、自分はその瞬間に立ち会ったことがありません。銚子ではつくことはなくなってしまいましたが、そのまま設置されています。立ち会ったことがある方はこれを見ただけでじわーっと渋谷界隈の、あるいは浅草の賑わいを思い出してくることでしょう。そして、もうつくことはありませんが、銚子の思い出もこの予備灯にはたくさん刻み込まれていることでしょう。これからもずっとずっと、訪れる観光客、地元の方に銚子への道しるべとして灯り続けて欲しいと思います。

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