阿佐海岸鉄道  ASA-300形
 
  阿佐海岸鉄道というとデュアルモードビーグル(DMV)で注目を集めていますが、その前はレールバスが8.5Kmの路線を行ったり来たりする路線でした。画像のとおり立派な設備の上をトコトコ行くディーゼルカー、記憶ではおでこが広いASA-100形、同200形が来るものだとばかり思っていましたが、やって来たのは高千穂鉄道からやってきたASA-300形でした。
2008年の事故で1両廃車になり、同じ年に大雨被害からの復旧が叶わなくなってしまった高千穂鉄道から無償譲渡、翌2009年に整備の上走り始めました。
2011年の取材の模様をお届けしますが、側面のキャラクターがかなり目立つ車体、おまじないのようなコトバ「みなでのらんけ」に切実な思いを感じます。
現在は宍喰駅の車両基地に置かれているとのことですが…取材班としては第三の人生に期待したいものです。
(取材・撮影 阿佐海岸鉄道阿佐東線・海部〜甲浦)

 

 

 


車内全景です。2ドアオールクロスシートの車内です。高千穂鉄道在籍時に観光用途で投入されたTR-200形が譲渡され、ほぼ車内の構成を変えることなく使用していたことが伺えます。2両製造されたTR-200形のうち1両は現在も高千穂あまてらす鉄道で行われている体験運転の「主」として使用されていますが、一般のセミクロスシート車の「その後」と比べるとシアワセな余生を送れているのでは、と思います。
ただ、阿佐海岸鉄道ASA-100形は転換クロスシート、同200形はソファ区画を中央に設ける独特な座席配置が魅力というなかなか個性的なラインナップだっただけに…投入時は大人しく見えた、かもしれません(^^;;

 
乗務員室との仕切りです。テレビモニターが設置されているのが観光仕様の何よりの証ですが、その隣の運賃表示機共々営業運転で使う場面はありませんでした。左の画像が甲浦方車端部で、阿佐海岸鉄道移籍後に設置された車椅子スペースが、右の画像が海部方車端部で、これまた移籍後に設置された両替機が左の方にチラッと見えます。
仕切り、整理券発行機、運賃箱から「禁煙」のステッカーまですべて高千穂鉄道からそのまま使っている状態でしたが、運賃箱や整理券発行機は使わず、晩年は黒いカバーがかけられたり、テープでグルグル巻きだったようです…。


車椅子スペースは阿佐海岸鉄道に来てから整備したものです。座席を2席撤去し、手すりを整備した格好です。晩年はこのスペースと座席との間に避難はしごが置かれていました。何か蛍光色のバンドのようなものも見えますが、置いてあるだけ…という状態です。車椅子スペースを示すマークの下には阿佐海岸鉄道線で利用できる切符が列記されています。もう…とりあえず作ってみました、といった雰囲気がいっぱいです(^^;;
床に貼られたマット、昔選挙に行った時に体育館に敷かれてあったシートの記憶にピッタリ一致したことも、良い思い出です。

 
天井です。○がいっぱい並んだ化粧板がキュートですし、高千穂あまてらす鉄道の車両もそうですが晩年まであまり焼けることなく○が維持されてきたのは嬉しかったものです。
蛍光灯は1列に並び、スピーカーもチラリ。よくよく見ると天井にワイヤーが貼られていてもはや「何かやるでしょ?!」と思わせる仕掛けと化しつつありますが…イルミネーションを設置している画像を見つけたのは後年のこと。乗った時は柑橘類でも吊るすのかと思っていました…。…あ、取材班は吊るさないでください(殴


少し経年がみられていた床です。薄めのベージュ1色、おとなしい車内の雰囲気を作っていました。

 
ドア周りは折り戸で長い窓が特徴のものです。ステップがついていましたが、その手前にマットを設置しているのが良心的でした。これ…実は高千穂鉄道の頃から設置されていたもので、赤いラインもそのまま。言ってしまえば横長のドアステッカーもそのままだった記憶があります。丸いドアステッカーこそ宮崎県のスポンサーが書かれていたこともあり外されていますが…高千穂鉄道を懐かしむためのアイテムがこの部分でも満載でした。


窓周りです。2段窓で下段が開くタイプです。テーブルも備わっていて、灰皿がかつてあった跡もみられます。カーテンの柄は阿佐海岸鉄道の晩年交換されていたようですが、取材班は現地では確認していません。
桟には帽子掛けも見えますが、マイク用のジャックも所々に設けられています。ああ、3セクでお馴染みの…と頷いてしまったわけですが、果たして阿佐海岸鉄道のトンネルに美声は響いたのでしょうか。

 
座席は全席クロスシートで、海部方に2人掛けの「かぶりつきクロスシート」がある他は全て4人1組のクロスシートです。
元から背面だった区画と車椅子スペースの整備で背面になった部分でフレームに若干違いがみられますが、元々の座席のフレームが背もたれを前後で共有しないものなので、簡単に背面に抜擢できる構造をうまく利用しています。

ただ…ヒーターの囲いがなかなかシュールで…晩年、この上に避難はしごが乗っかっていたことを考えると、きっと使う時にはホッカホカだったのでしょう…(^^;;; じゃなくて、もう少し注意喚起してもよかったのではないでしょうか、「あつい!」と。


海部方のクロスシートです。仕切りが質素でその気になればかなり足を伸ばせる仕様。特に窓の下の配管も無いし、省略されそうなテーブルもしっかりあることから…まさに「当たり席」でした。尤もドアが開けば風がダイレクトに直撃する意味でも「当たり席」ですが…(^^;; この手の席には「優先席」が充てられそうですが、この車両に優先席やシルバーシートの設定はありませんでした。

 
斜め撮りからスミマセン。クロスシートの様子です。背面までモケットを貼っている様子、手すりの設置状況なども要チェックです。
平成初期の第3セクターでよく見られた座席で、フレームの白が良い感じに目立っています。
バケットシートですが座面、背もたれともに詰め物がしっかり入っている感じで、モッチリとした座り心地が特徴です。背もたれは実際座ると見た目よりも切り立っている感じで、特に窓側席の狭さが目立ちます。この形式に至っては収納状態の横引カーテンも着座時にはちょっと鬱陶しい存在に化けてしまいます…(^^;;

 
そして車内には両替機が備わっていました。この両替機自体ASA-100形でも設置されていたもので、躯体の外側に化粧板を貼ったような仕上げに見えます。消火器ケースも兼ねているところが可愛いですが、この車両のオリジナルになります。

1000円札を100円玉に両替するもので、晩年は使用が停止されていたそうです。PaloというメーカーのMoney changing machine Ver.2ですが、Paloというメーカー、ホームページなどは特段無いようで…。

トンネルの中、誰もいない車内でこの両替機の表示だけが赤く光っている様子…背筋が若干ゾクゾクしたのはここだけの話です。
 
ひとつ前に戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送