東京メトロ  7000系[1次車]
 
  昭和49年、営団有楽町線の車両として投入された7000系。当初は5両編成、黄金色の帯を巻き、側窓も2段でした。あれから46年の歳月が流れ、まさか3色の帯を巻き、冷房がつき、埼玉県から神奈川県まで縦横無尽に走るとは誰が思ったことでしょう。
今回はその昭和49年から活躍し続ける1次車の模様、2021年の取材を中心に一部2005年の画像も織り交ぜながらお届けします。
1次車として投入されたのは5両編成19本、2次車はほぼ同じ仕様で5両1本投入されました。3次車を組み込んで10両化したのは昭和58年のことで、10両編成では新木場方の中間車5両、2号車から6号車に挿入されました。窓の大きさがアンバランスだったのですが、この頃から冷房や足回り、副都心線乗り入れ…と様々な改良が施されます。
2021年の時点で後継の17000系への置き換えが進んでおり、10両編成のみ乗り入れる有楽町線では孤高の存在になっています。
(取材・撮影 西武鉄道池袋線・練馬〜飯能 他)

 

 

 

 
車内全景です。左の画像は2021年に撮影した先頭車全景、右の画像は2005年に撮影した中間車の模様で、キノコ型の貫通路が健在だった時のものです。平成6年から順次模様替えを行い、床や袖仕切りのリニューアル、窓の1段化等を行っています。モケットに関しては平成12年以降画像の濃いピンク色のものに交換され、実に華やかな車内に仕上がりました。木目柄の袖仕切りを懐かしむ方もおられるかとは思いますが、この内装もそれなりの長さに達しつつあり、走行区間とともに「7000系といえばこれ!」という方も多いと思います。1・2次車に関しては私も後者の車内が印象深いものがあります。
加えて貫通扉設置前の奥行きがもたらす開放感…いやはや、懐かしいものです。
4ドアロングシートの車内です。

 
乗務員室との仕切りです。右の画像は2004年、左の画像は2021年のものです。元から左側に小さい窓があり、右側に仕切り扉がありました。その扉は恐らく副都心線乗り入れのタイミングで交換されたのでしょう、窓の大きさ、手すりやルーバーに違いが見られます。
ただ、登場時は右下のルーバーがありませんでした。この7000系では蓋が多く登場しますが、仕切り真ん中の蓋もいつの間にか大きくなっています(^^;;
仕切りまで伸びた吊革も後づけの物ですが、既に見慣れたものになっています。冷房化の時に交換されたのでしょうか。

 
8号車と7号車の間の貫通路は当初から貫通扉がついています。ここも2段窓で登場したものの、後に1段窓に改まっています。他の車端部とは異なり、戸袋、妻面どちらも窓が備わっていることが特徴です。側窓と同じ高さに抑えられ、貫通扉とも揃っている様は美しさを感じます。妻窓は壁から若干奥まったところに設置されていますが、それが肘掛けの代わりになるかというと…なりません。
また、3次車では妻面の鬱陶しい位置に置かれた消火器がケースの中にしっかり収まっている点もポイントです。
左の画像は7号車の飯能、川越市方、右の優先席の画像は8号車の新木場方の車端部です。

 
ちょっと比較するには苦しい画像ですみません。貫通路に後付けで扉をつけた、10号車優先席の車端部です。貫通扉の幅はかつての貫通路よりも狭く、妻窓がないのが特徴です。貫通扉も「昔からありました!」と言っていそうなデザインで、面白みに欠けます。逆に面白いのが消火器のポジションで、貫通路だった頃からその位置を変えていません。面影はそれくらいで、いっそ3次車の5号車川越市、飯能方の車端部の方が一寸多く面影を残していますが、その様子はまたいずれ…。
時代の流れは吊革の色やステッカー、女性専用車の設定も。

 
中間車の車端部です。右の画像は車椅子スペースつきの車端部で、1次車10両編成では9号車新木場方に設置されています。この車椅子スペースも編成によってはリニューアル工事の後に行った可能性もあります。車内ではこの車椅子スペースも含めてところどころに非常通報機が備わっていますが、2004年の時に写っていたものから、何らかのタイミングで交換されています。
ツルンとした妻面には広告枠もステッカーもありません。消火器が車端部によっては左右2か所ついているところもありますが、何もない理由はそれだけに留まらないと思います。
そして貫通扉はどちらか一方についています。この扉、なかなか開けるのが重たかったです…。何か引っかかっているような感じがしましたが…少しお疲れなのかもしれません。


車椅子スペースです。ここもやはり蓋が多い…(^^;; 手すりが備わっていますが、窓の下に少し出っ張りがあり、その出っ張りを回避するような形状の手すりになります。側窓の小ささは外から見る分には1次車と3次車を比較するのが手っ取り早いですが、この車椅子スペースから見てもその小ささが伺えることかと思います。
そうそう、この画像の撮影は2021年なのですが、なんだかちょっとピクトグラムが物足りません…。

 
天井です。今ではここまではっきり凸凹した天井は久々に見た感じがします。この冷房ダクトの真ん中に扇風機が挟まって稼働しています。JRではこの部分にJNRのロゴが書かれていることがそこそこありますが、さすがに営団のマークは見かけませんでした…。ウィキペディアにはこの扇風機の羽根を小さくしたとの記載がありますが、観察眼にはただただ脱帽です。あ、脱帽ですよ、決して風で飛ばされたわけでは…。
アピールが盛んに行われていたのは扇風機ではなくLED照明。違和感のない設置状況に、またも脱帽です。


床です。近年なかなかお目にかかれない華やかなベージュのツートンで、フットラインをさりげなく形成しています。周りの袖仕切り、座席との調和もバッチリで、営団地下鉄のリニューアルの上手さをこういうところから感じたものです。


ドア周りです。LED表示器は副都心線乗り入れの時に設置され、戸袋への引き込まれ注意のステッカーは近年貼られました。2005年の取材時には所謂えいだんネコもいたのですが、いつの間にかいなくなってしまいました(^^;;
引き込まれを地で注意喚起している小さいドア窓は6000系2次車あたりでも見られましたが、1次車・2次車ではドア窓そのものが大きくなるような更新はされませんでした。
 
2005年に取材した際にはLED表示器が設置されていませんでした。このスッキリした鴨居部も良かったのですが、今の鴨居部の出っ張りもあまり違和感がありません。そうそう、この画像からはドアの位置を示す点字シールの設置も確認できます。それにしても…広告も含めて、ずいぶんステッカー類が増えたこと…(^^;;

 
LED表示器です。ドアチャイムの関係で、LED表示器が無いドアもスピーカーがつきました。この位置ということもあり、音色ははっきり聞こえてきます。
LED表示器は東京メトロ、西武鉄道、東武鉄道で内容が微妙に違うようで、東京メトロでは自社の広告を流したり、東武鉄道では号車案内を結構な頻度で流したり、西武鉄道では停車駅の案内をそこそこの頻度で流したりしています。え、東急ではどうかって?…すみません、東横線はつい眠くなってしまうもので…(殴


側窓です。ロールカーテンの戸袋が荷棚より下の位置に来ており、この見た目で窓の小ささが伺えてしまうものです。それでも1段窓になって軽快さが増したように感じます。銀色の桟の部分には換気の目安になる窓開けのポジションを示すもので、令和の世に入りすっかり窓開けが定着してしまいました。


座席です。今見るとちょっと窮屈そうに見える7人掛けロングシートです。同じ編成の3次車で見られるモケットとは異なり、こちらのロングシートは着席区分が入りません。それ故に6人で座っているような跡がちらちら…(^^;;
座面は柔らかいバネ入りのものですが、ちょっとくたびれているような部分も見られました。背もたれの高さは相変わらずで、空いていれば寛げる座り心地は相変わらず良好です。
定員どおり座ると窮屈なのはこの袖仕切りのせいかもしれません。立客としっかり分離ができた機能美そのものの袖仕切りだったのですが、多種多様な袖仕切りを前に、ちょっと考え方が贅沢になりつつあります。

 
車端部の3人掛けロングシートです。妻面はざっくり壁になっていますが、ここは3次車では若干の改良が見られた区画だけに、特に貫通扉を後付けで設置した車端部ではもう少しゆったりした構成を期待したものですが…なかなか難しかったのでしょうか。3次車ではちょっと気になる消火器が1次車・2次車で気にならないのは却って良いので、結局五十歩百歩という説もあります(^^;;

 
優先席では元々妻窓が存在する区画の窪みにも注目していただきたいのですが、この形状だと妻窓と側窓の間の出っ張りが肩に当たって窮屈です(^^;;

2005年のキノコ型貫通路が存在した時期の優先席ですが、貫通路の幅には関係なく、肩回りの窮屈さは車端部のお約束だったようです。この高さだと肘掛けとしての役割もちょっと厳しい印象ですが、まさか有楽町線開通の時点で長距離移動も任されることになるとは、思ってもいなかったことでしょう…(^^;
優先席はピンクの柄と対になる紺色のモケットです。こちらも素敵な色合いです。

昭和、平成、令和と時代の求めに応え続けた7000系。これでさよなら…は寂しいので、
次の元号、次の時代になっても目の前でドアを開けて、老いた私の乗車を待っていて欲しいものです。
 
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